テモテへの手紙一 2章4~5節 「神と人との間の仲介者」
今日の聖書はわたしたちの願いを、人間を根拠としたものではなくて、まず神ご自身の願いと望みに立ち返るところから、最初から受け止め直し、考え直してみることが求められていることを呼びかけているのではないでしょうか。「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された」(ヨハネ3:16)現実に立ち返り、ここからのみ発想していくという方向においてです。神は「真理を知るようになることを望んでおられます」とありますが、この「真理」とは、論理が理屈に適っているとか形式的な客観的な知識の正しさやなど机の上で考えぬかれるものとは決定的に違います。「真理」についてヨハネによる福音書14章6節は示しています。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」 。「真理」とは、イエス・キリストご自身のことに他なりません。この真理を知るようになることを神は望んでおられるということです。
「わたしたちは一人ではありません。」から始まるカナダ合同教会の信仰告白は、イエス・キリストのゆえに孤独から解き放たれているということです。クリスマスという神が人となった事実において、逃れられない人間の悲惨さに神が寄り添い、友となるために歩み寄り出会いを求めておられるということです。そして主イエスの聖霊において共におられることによる恵みに包まれているのだということです。
イエス・キリストが人間の悲惨な孤独の現実に対して「神と人との間の仲介者」であることを受け入れることから始めてみようじゃないかという呼びかけが今日の聖書の告げるところです。ここに軸足を据えて立つところにキリスト者としてのあり方が備えられているのだと確認できるはずです。「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。」。ここに希望が、つまり、人間の願いや希望が破れている現実を見据えながらも新しく主イエスの側から備えられる願いや希望による「ほんとう」に向かって歩み出す赦しが語られているのです。
この言葉に示されている「ほんとう」が揺らぐことはありません。人間の側からの望みが押しつぶされ破壊されている時代であるからこそ、おひとりの主イエス・キリストからのみに示される望みがあるのです。
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