ペトロの手紙一 3章11節 「平和を求め、これを追え」
~キリスト教教育週間~
今日のキリスト教教育週間のテーマは、人のいのちを救う病院です。アハリー・アラブ病院はイスラエルの攻撃を受けても、医療活動をやめてはいません。宗教という枠を越えて、いのちでつながる働きをしているのです。アッラーにしてもヤーウェにしてもイエス・キリストも、神は人を殺すことを求めているのでしょうか。十戒には「殺してはならない」という戒めがあります。タルムード(ヘブライ語聖書に次ぐユダヤ教の聖典)よりも優先させなければならない、律法の中心とも言うべき十戒にあるのです。
ユダヤ人からパレスチナ人に対する攻撃的な態度、1948年のイスラエル建国以前から今まで続いています。かつてはパレスチナという土地にあって宗教や国家観、暮らし方の違いや小さな諍いはあったとしても、両者が仲良くできていた時代はあるのです。それが愛から憎しみや殺意の時代に移り変わってきたのです。歴史を巻き戻すことはできないのかもしれません。しかし、新しい友人として、また開かれた意味での隣人としてお互いのいのちを大切にしあって喜んで生きられるような世界を求めていくことはできるのではないでしょうか。
今日のテーマの聖句は「平和を求め、これを追え」です。これは共同訳聖書(最新版)によっています。わたしたちの使っている新共同訳では「平和を願って、これを追い求めよ。」となっています。報道によれば、イスラエルの攻撃が収まる気配は感じられません。激しくなるばかりです。ハマスの指導者が殺され続けています。指導者を殺すために、より多くの人を殺しても良いのだと主張する人もいるでしょう。しかし、指導者を殺しさえすれば問題は解決するのでしょうか。サダム・フセインを殺して、ビンラディンを殺して、カダフィを殺して、世界に平和が訪れたのでしょうか。より混乱が大きくなり広がったのではないでしょうか。如何にして殺さないで問題に対処できるのかが人に与えられた平和を求めてこれを追え、という課題に応えていく道ではないでしょうか。そのためにこそ、学ぶことの必要性を感じています。
聖書には、覇権主義や殺しを良いこととして教えている箇書が確かにあります。これは否定できません。しかし、わたしたちが第一には読むべきは平和という課題に向かう箇書です。 イザヤ書2章4節にはこのようにあります。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。」。戦うことを学ばない生き方を求めたいのです。お互いのいのちを慈しみ合い「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」というローマの信徒への手紙12章15節の言葉が本当になるような世界を求めて祈りましょう。


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