コリントの信徒への手紙一 1章18~31節 「主イエス・キリストに導かれて」 内田節夫
私と教会との出会いは、14歳の中学二年生の時でした。近所の奥様に誘われて、戸塚の「聖母の園」のクリスマスミサに同行しました。記憶が確かであれば、教会の鐘が鳴り響く暗闇の中聖堂に入り、左に飼い葉桶の御子が、そして神父が蝋燭に1本1本火を灯していく光景が印象に残っています。その園が翌年の2月に全焼したことは大きな驚きでした。その後は2回ほどアルバイト先の本屋の主人と、今は無いようですが南太田と黄金町の間の丘の上の小さな教会に同行しました。高校は大学受験の資金作りもあり、働いていた母親の負担をやわらげようとÝ校の定時制に進み、昼間は横浜の地場産業であるスカーフの為の捺染のための型ものづくりに従事してきました。大学入試のための参考書とポケットサイズの「聖書」を持っての作業と学びの日々でした。小学生の頃から教室のデスクの上で、オルガンを弾く真似などをしてきたからでしょうか、河合の足踏みペタルのオルガンを購入し、讃美歌を奏でる習慣が今日も続いています。校内合唱コンクールで僕が指揮をして全校優勝したのも良き思い出です。大学での生活は演劇活動と歌舞伎座大道具のアルバイトに明け暮れる日々でした。2年前に亡くなった能楽大鼓方で人間国宝の亀井忠雄さんと当時‘かに族‘と言われリュックを背に周遊券をフルに使って北海道をキャンプして回ったのも懐かしく思い出されます。社会人になってからは、クリスチャンでイエス・キリストの生涯を文楽化した現在文楽界最長老の太夫と2回程度教会の礼拝にあずかりました。
2006年(平成18年)に日本芸術文化振興会(国立劇場)を定年退職し、その後の2019年までの13年間は日本演劇協会で第二の人生を送ってきました。マーラーやブルックナーを愛聴してきた私ですが、最近は宗教音楽に傾倒し、中でもカールㇼヒターによるCDの「マタイ受難曲」を聴き続ける中「受難コラール」が讃美歌310番の「血しおしたたる」にあることを知りました。そんな日々を重ねる中、日ごとに教会への思いは強まってきましたが、不安が先立ち決意ができませんでした。熟慮の結果、このまま家にいて無為に過ごすのならば、老齢でもあり認知症予防のためにも教会にいき牧師の説教に耳を傾け、讃美歌を唄い、宗徒と交わる道を選択するのが良いと結論づけました。しかし、教会選びには迷いましたが、2022年6月5日、意を決して結局我が家から一番近い上大岡教会に足を踏み入れることになりました。その後の教会通いで、僕の不安は払しょくし、確信へと変わりました。23年10月1日には、牧師と信徒の皆様のご信任を得て洗礼にあずかりました。凝り固まった教条主義にとらわれづ自称ノラと飾らぬ柔軟な思考で私たちを真理の道へと導いてくださる原宝牧師、聡明にしていつもさわやかな明るい声と笑顔で牧師をサポートしている直呼奥様、そして温かい愛に満ちた自然体の信徒たちと共にイエス・キリストの歩みを共にできる喜びと感謝で祈りを深め、素直に、謙虚に信仰の道を深めていきたいと願っています。


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