ヨハネによる福音書 4章7~15節 「生かす水」
~子どもとおとなの合同礼拝~
ある日の昼下がり、井戸端で主イエスが一人の女性と出会いました。そして「水を飲ませてください」と話しかけました。主イエスはユダヤ人で、その女性はサマリア人でした。その当時はユダヤ人とサマリア人はとても仲が悪くて、話をすることすら嫌がるほどだったのです。なので、その女性はとても驚きました。それから、水についての言葉のやり取りをするのですが、どうもスッキリしません。主イエスは「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」とお話になったのです。その女性は井戸から汲んで飲むことのできる水のことを話していたのですが、主イエスが話していたのは、心に与える水です。いのちを守り育てるところの水です。心を安らかにしたり、潤したり、落ち着いた気持になったり、という人間の中心を支え導く力の働きをもった水の話です。「生きた水」とは、神によって生きることが赦されている今を支えるもとになるものです。水がなければ花が枯れてしまうように、これがなければ心が渇いてしまう、生きていて良かったとか嬉しいとかありがとうという気持ちのもとになることを「生きた水」なのだと主イエスはお話したのです。
主イエスは「与える水はその人の内で泉となり」と言いました。泉とは、地面から自然に水が沸き上がってくるところです。どんどん湧いてくる感じです。主イエスから力をいただくと、その人の心の中には、生きるための希望や勇気や力が沸き上がってくるのだと教えているのです。このことを、この女性は最初は分かりませんでしたが、だんだんと分かってきました。この主イエスの言葉には人の心の一番奥底にある悲しみや辛さなど、人の元気とか生きる力を弱くしてしまうものを、「生きた水」によって生き生きとなることができるようにしてくれるのだと分かったのです。この主イエスからの水に養われて、渇いた心が潤され、心の中にそれぞれが花を咲かせるような生き生きとしたあり方へと招かれていることを信じます。
わたしたちも、毎日の生活の中で渇いた心の状態になることもあるかもしれません。でも、「生きた水」の力があるから、何度でも生き生きとなることができるのだと聖書は教え続けているのです。そしてさらには、このことを知らされた人は誰か他の人にも教えてあげたくなるのです。このようにして、「生きる水」としての主イエスの働きが広がっていけば、幸せがと広がっていくと信じることができるのです。


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