マタイによる福音書 18章1~5節 「子どもになる」
~子ども祝福礼拝~
(絵本『かいじゅうたちのいるところ』の朗読のあとで)
今日読んだ絵本『かいじゅうたちのいるところ』に登場するマックスは、いたずらや怒りの気持ちが抑えられず、お母さんに叱られて部屋に閉じ込められてしまいます。そこから、彼は想像の世界で「かいじゅうたち」の国へ旅に出ます。かいじゅうたちはマックスの激しい気持ちに共鳴し、彼を王さまとします。マックスは好きなように暴れ、命令し、自由にふるまいます。しかし、しばらくすると、彼の中に「さびしい」「だれかに愛されたい」という思いがふと湧き上がります。怒りの奥にあった本当の気持ちです。
そしてマックスは「おうちに帰りたい」と願います。帰ってみると、お母さんはごはんを用意して待っていました。しかも、そのごはんは「まだあたたかかった」。このことばは、「あなたは見捨てられていなかった」という深いメッセージです。マックスは家で愛され、受け入れられていたのです。この行って帰ってくるモチーフをもって展開される物語は、主イエスが弟子たちに語られた言葉とよく響き合います。弟子たちは「天の国ではだれが一番えらいのか」と主イエスに尋ねました。すると主イエスは一人の子どもを呼んで言われます。「もしあなたがたが心を入れかえて子どものようにならなければ、天の国に入ることはできません。」さらに、「このような子どもを受け入れる人は、わたしを受け入れるのです」とも言われました。
主イエスが言われる「子どものようになる」とは、ただ元気で明るい子どもの振る舞いを真似することではありません。子どもが持っている「素直で、やわらかい心」を取り戻すことです。人は大人になるにつれて、周りの目を気にし、失敗を恐れ、感情を抑え、心を固くしてしまうことがあります。でも、その奥にはかならず「わかってほしい」「愛されたい」「つながりたい」というやわらかな心が残っています。
マックスはかいじゅうの国で暴れ、王さまになっても満たされませんでした。でも、自分のさびしさに気づき、家に帰ることを選んだとき、彼は本当の意味で成長しました。彼は「力」や「えらさ」ではなく、「愛されている自分」に帰ることができたのです。
主イエスは、そんな「やさしい心」を見てくださる方です。怒ってしまうときも、すねてしまうときも、その奥にあるやわらかい心を知っていてくださいます。そしてその心を大切にして生きてほしいと願っておられます。
だから、今日のテーマは「子どものようになる」ではなく、「イエスさまにあって神の子どもになる」のです。子どももおとなも、神に愛されている者として、素直な心、やわらかい心で、共に歩んでいきましょう。そうしていく中で、わたしたちは、神の子どもとして本当に喜びに満ちて生きることができるのです。


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