5_祈り

赦しの言葉(司会者)

神は、愛のゆえにわたしたちにその独り子を与えてくださいました。パウロは証言します。 「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座って、わたしたちのために執り成してくださるのです。」主は言われます。「わたしはあなたがたを赦し、そして癒す」。

 

 

 



罪の告白(会衆)

全能の神よ、イエス・キリストの深いあわれみにより、今、わたしたちは赦(ゆる)しの言葉に与(あずか)りました。あなたの御旨(みむね)を感謝します。わたしたちは、思いと、言葉と、行いとにおいて、またわたしたちの怠りにおいて、御前(みまえ)に罪ある者です。わたしたちは、心をつくしてあなたを愛することをせず、また隣人たちを自分のように愛することもしませんでした。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」と告白せざるをえない現実こそがわたしたちです。どうか、主イエス・キリストに倣(なら)い、共に生きる生活へと歩ませてください。

アーメン。

 

 

 



 

日本基督教団信仰告白(使徒信条含む)

 

我らは信じかつ告白す。

 

旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証(あかし)し、福音(ふくいん)の真理を示し、 教会の拠(よ)るべき唯一(ゆゐいつ)の正典なり。

 

されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与うる神の言(ことば)にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。

 

主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、 三位一体(さんみいったい)の神にていましたまふ。

 

御子(みこ)は我ら罪人(つみびと)の救ひのために人と成り、 十字架にかかり、ひとたび己(おのれ)を全き犠牲(いけにへ)として神にささげ、我らの贖(あがな)ひとなりたまへり。

 

神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦(ゆる)して義としたまふ。

 

この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の果(み)を結ばしめ、その御業(みわざ)を成就(じょうじゅ)したまふ。

 

教会は主キリストの体(からだ)にして、恵みにより召されたる者の集(つど)ひなり。

 

教会は公(おほやけ)の礼拝(れいはい)を守り、福音を正しくの宣べ伝ヘ、バプテスマと主の晩餐(ばんさん)との聖礼典を執(と)り行ひ、 愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む。

 

 

 

我らはかく信じ、代々(よよ)の聖徒と共に、使徒信条を告白す。

 

我は天地の造り主(ぬし)、全能の父なる神を信ず。

 

我はその独(ひと)り子(ご)、我らの主、イエス・キリストを信ず。

 

主は聖霊によりてやどり、処女(をとめ)マリアより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、

 

十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、

 

天に昇(のぼ)り、全能の父なる神の右に坐(ざ)したまへり、かしこより来たりて、

 

生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまはん。

 

我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがへり、 永遠(とこしへ)の生命(いのち)を信ず。

 

アーメン。

 

 

 



 

主の祈り

 

天にましますわれらの父よ。御名(みな)をあがめさせたまえ。

 

御国(みくに)をきたらせたまえ。御心(みこころ)が天になるごとく、地にもなさせたまえ。

 

われらの日用の糧(かて)をきょうも与えたまえ。

 

われらに罪をおかす者を、われらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ。

 

われらを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

 

国と力と栄とは、限りなく汝のものなればなり。

 

アーメン

 

 

 



 

派遣

 

 

 

牧師:主はいわれる。「わたしは誰をつかわすべきか。だれがわたしと共に行くだろうか。」

 

会衆:ここにわたしがおります。わたしをつかわしてください

 

 

 

 

 

 

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