ヨハネの手紙一 4章7~21節 「神は愛」
「愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。」(4:7)とあります。人間の側に根拠をおいている愛ではないからです。つまり、人間の側には愛する能力や才能がそもそもないのです。愛とは「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」(4:9)ということです。「神の愛」が肉を伴った、すなわちイエス・キリストがわたしたちと同じ人間としてこの世に来られ、その生涯を歩まれたことが「神の愛」の現れであり具体なのです。
すべてのものを生かすために神ご自身が、神ご自身であることをやめることなく、人間の真の友となり仲間となるように受肉されたのです。その愛には一切の条件がなく、一切の人間のあらゆる根源的な罪をも含めた存在がただ一度限り全面的に肯定されるのです。ささげものとしてイエス・キリストが十字架に磔られたという出来事によってです。
わたしたちが心に留めておかなければならない愛の性質というのは「神は愛です」ということです。わたしたちの命も存在も一切の条件なしに神が与えてくださったものであるから、わたしたちにできるのはただ、この借りものである命をこの世において許された年月を神の祝福と守りのもとで過ごすということです。そしてまた、底が抜けた(=限りのない)「愛」に集中することが第一に語られているのだというところから、自分たちの態度決定を整えていくということが求められています。これが愛し合いましょうという促しの示すところです。イエス・キリストの愛を受け、その有り難さに触れた者だけが、何とか応答していこうと整えられていくのだと言えます。
他者との関係において、相手に対して自分が赦されていることを踏まえて接し、関係を作り直していこうとの招きなのです。このように他者を大切にしていこうとの促しが、互いに愛し合いましょう、ということなのです。こういう仕方で、もう一度イエス・キリストの愛に立ち返ることによって、わたしたちがもっている罪深さを自覚しながら他者との関係を何度でも新しく作り直しえていく道が備えられている根拠は、「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(4:10)。この愛に立ち返ることによって、わたしたちは日毎に新たな<いのち>に与って歩むことができるのです。わたしたちは、すでにこの道につらなっているのです。
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