「敵を愛しなさい」 竹花牧人
初めまして。農村伝道神学校三年生の竹花牧人と言います。この学校に来るに至った経緯は多々あります。その中でも大きいものを紹介し、今回の聖書箇所と絡めてお話したいと思います。まず、生まれは、栃木県の小山市という場所です。小学校から高校までずっと小山で育ちました。転機は大学に進学するときでした。本来関東にいる学生は東京の大学に進学するのがごメジャーでしたが、私は東北の仙台の東北学院大学という学校に進みました。理由はこの学校にキリスト教学科という学科があったからです。私の家は四代にわたり牧師の家系です。しかし、私は残念ながら、しょうめい感があったわけではなくただ、牧師の子供なら入学しやすいのではというよこしまな考えからでした。そのため、大学のキリスト教の勉強は入学当初つまらなく退屈なものでした。そのためからか、当時からバンド活動をしていたこともあり、大学三年生の時、学校を休学し音楽活動をしていました。完全に夜型の生活になり、またジャンルもヴィジュアル系という特殊なものだったので、様々な人間に出会い、音楽方面にはかなり詳しくなりました。この生活に私は満足をしていたのですが、そのころからか、精神が少しおかしくなりました。病院に行き検査した結果統合失調症という病名だと分かりました。この病気が一番酷かった時は、回りの会話、電車の音、外の騒音、すべてが私自身に対する誹謗中傷に聞こえ、外に一歩も出れない状態になりました。病気の影響からか、この世の中はすべて敵だと誇大妄想にとりつかれていました。誰に相談しても理解してもらえず、最後に頼ったのは自分が良く知る神でした。酷い精神状態で今回のルカ6:27~36を読みました。そこで、初めて、自分の求めるものは、自分を愛してくれる存在ではなく、同じ目線で、自分を愛してくれていない人を愛するというこなんだということでした。つまりは敵を愛するということでした。はっきり言って自分以外他人はいくら仲良くなっても自分自身のように理解することはできません、ただ、愛することを求めるのではなく、自分が相手にしてあげたいことをする、それが敵だとしても、それこそが、私の病気を治す最大の近道であり、愛の実践であると確信しています。
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