罪の赦しを信ず 今野善郎
1980年、神学校一年生の夏休み、日本山岳会学生部という各大学山岳部のメンバー6名でインド・ヒマラヤに登山に行った。登山7日目、キャンプ1(5,260㍍)の地点は豪雪であった。同伴のトムさんと私の入ったテントは緩やかな尾根にあり、私には雪崩は考えられなかった。私が外に出て定時交信をし、テントに戻ろうとした8時5分、「ズン」という鈍い音があり、両足をすくわれた。何が起こっているのかわからず、ただトムさんの入っているオレンジ色のテントが同じ速さですぐ脇を流れていた。気絶し、気がつくと私は絶壁の端30センチ手前で止まっていた。トムさんはそのまま250㍍の絶壁を垂直に墜死。表層雪崩に遭い、私は50㍍流されて止まっていた。
九死に一生を得て帰国した私は、悔いが残った。生き残った自分が許せなかった。なぜ私が生き、すぐ横にいたトムさんが死んだのか。帰国して牧師を訪ね、牧師は「生き残ったのには、深い神様の計画がある」と慰めて下さった。33年近くたった今は、その通りと思えるが、当時は「深い神様の計画」という言葉で「神様」を持ち出して、自分の責任をごまかしているようで受け入れられなかった。罪にさいなまれ、悶々としたみじめな半年を過ごした。「罪と罰」の罰だった。
その後、ひとつの思いが頭を離れなかった。「あの時生き残ったのは、神様の間違いではなかったか。本当は私は死ぬはずではなかったか。」。もう一度、ヒマラヤに行って、神様からの答えを聞かなければ生きて行けないと思った。神学校を辞めて、向かったのはネパール・ヒマラヤの7,893㍍峰だった。結果として、7,000㍍付近で力尽きて動けず、「こんなに静かに死んで行くんだ」、これが答えで、やはり死ぬはずだったんだ。そんな勝手な答えを出していたが、仲間に助けられた。翌日、下のキャンプに降りるとき、休んだ場所で頂上を振り返ったとき、それまで自分がひっぱっていた糸が切れたような音がした。「生きろ」という声が聞こえた。「あれは偶然に生きたのではなく、神様が生かしてくださった」と実感できた。
それから不思議なことに気づいた。登山の時は小さな聖書を常時携帯した。あの雪崩の時もザックの上蓋の中に入れていた。遭難の時、沢山ものが雪に埋まったが、捜索に行った仲間によって、その聖書が回収され、また私の手元に戻ってきていた。聖書が私の代わりに絶壁から墜ちたことが、私の代わりにイエス様が墜ちて下さったのだと受け止めた。
トムさんを守れず、私一人生き残った、その結果からは生涯逃げてはいけないと思っている。我が罪は我が前にあり。罪が帳消しになるのではない。でも究極的に、十字架の主が身代わりになって罪を償って下さった。それゆえに罪を罪として認め、逃げず、薄めず、自分をさいなまず、ただ赦された者として堂々と生きよと語りかけて下さっている主を私は信じている。
« 出エジプト記 2章11~25節 「道は備えられている」 | トップページ | 出エジプト記3章1~12節 「招き」 »
「エッセイ」カテゴリの記事
- 武部正美さんからのメッセージ(2019.08.25)
- <修養会のレジメから>(2019.08.18)
- 「敵を愛しなさい」 竹花牧人(2013.10.13)
- 罪の赦しを信ず 今野善郎(2013.02.24)
« 出エジプト記 2章11~25節 「道は備えられている」 | トップページ | 出エジプト記3章1~12節 「招き」 »
コメント