ヨシュア記

2012年9月 2日 (日)

ヨシュア記 6章12~21節 「声を合わせて」

 今日のテキストでのキーワードは「鬨の声」です。神の導きのもとで人々が「鬨の声」をあげることによって城壁が崩れていく、神によって歴史が形成されるという聖書の信仰理解が、ここにはあるということです。
 神が具体的に人間の歴史に介入し、イスラエルを救った出来事は、とりわけ出エジプト記において示されています。聖書の証言する神は、ただ手をこまねいている方なのではなくて、歴史を作り出す采配者であるという理解があるのです。今日のテキストにおいては、神の働きと導きのあるところには、民の間に「鬨の声」をあげさせ、城壁を突き破って進むことが、神の事柄として起こるのだという信仰理解があります。
 これを現代の歴史に見ようとするならば、わたしたちは何を考えるのでしょうか?ひとつ例をあげてみれば、いわゆる「ベルリンの壁」は1989年に砕かれ、ドイツは一つの国になりました。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」(エフェソ2:14)が出来事となるのです。エフェソ書の文脈ではキリストの十字架の出来事によってのことですが、中身としては「ベルリンの壁」が壊された出来事と共鳴しています。
 現在進行形の出来事は「首相官邸前」から起こりつつあります。原発に反対する人々の、厚い壁に向かって声をあげる姿。ここに神の導きと守りとを信じたいです。神の言葉によって促され「鬨の声」が巻き起こる時、歴史は変えられていきます、非陶酔的に。
 しかし、住宅街の教会で信仰生活を送るわたしたちがいきなり社会を変革する業のフロントに出ていくのは困難かもしれません。そこで、「声を合わせる」訓練から始めてみるのはどうでしょうか。たとえば、主の祈りや使徒信条など、礼拝堂の中で「声を合わせる」ことから、すなわち人の声を聞くことから始めるのはどうでしょうか。「声を合わせる」ことは、注意を払って耳を澄まし、人の声に耳を傾けることなしにはできません。こうしたことの積み重ねから、「鬨の声」に共鳴する「声を合わせる」ことへと変えられ、やがては教会の声が世界と共鳴する世界観が実現にしていく途上に立つことができていくのではないでしょうか。今日の聖書は、わたしたちをそのような場へと招いているのではないでしょうか。イエス・キリストの導きのもとにあれば「声を合わせる」ことからこの時代に参与していく道がやがて教会に与えられると信じつつ祈りましょう。

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