ヨハネによる福音書 8章31~38節 「真理はあなたがたを自由にする」
主イエスは語りかけています。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」。この言葉は、主イエスの言葉に留まることをもって弟子となり、それを導く「ほんとう」によって自由へと歩む方向付けと導きがあるということです。
ところで、わたしたちは果たして、主イエスの言葉において示される「ほんとう」によって自由へと向かっているのでしょうか。「ほんとう」でないものを、あたかも「ほんとう」のことのようにして誤解していないでしょうか。デマや噂を「ほんとう」として刷り込まれて、強制的な誰かの意志に服従する、そのような従順に犯されてはいないでしょうか。
聖書の文脈では、主イエスを「信じたユダヤ人たち」に対しての言葉です。これに対して彼らは「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。」と不満を述べ、自らがすでに「自由」であると言いたげです。しかし、彼らの自覚に隠された「奴隷根性」、つまり、何かしらの権威を傘に着ることで保証されていると思う勘違いのあることが理解できていないのです。常に、今ある自分の立ち位置を主イエスの「真理」に基づいて正していかなければならないのです。そうでなければ、「奴隷」としての「従順さ」において「服従」に溺れてしまうのです。これは「自由」とは程遠いものです。
「真理はあなたたちを自由にする。」という立ち位置は、デマや噂に飲み込まれない道への招きがあります。「真理」によってもたらされる「自由」に与ることは、この世における責任的な生き方を選び取ることと別のことではありません。その人の内面性に閉ざされて完結するものではないのです。
この意味において、今一度主イエスの言葉に立ち返りたいと願うのです。そうでなければ、わたしたちは「関東大震災」の混乱の中でデマを信じて「異質なもの」への襲撃に走った人たちの誤った道を再び歩むことになりかねないからです。何かしらの権力や扇動者たちの従順な奴隷になってはならないのです。この御言葉はそのままで信じるに値するものです。すなわち、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」。この御言葉のもと、デマや噂に溺れないで、責任的な生き方をこの世においてなしていくことを願います。主イエスの真理において自由へと歩みたいのです。
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