イザヤ書 11章6~8節 「子どもから始まる」
~子どもとおとなの合同礼拝(子ども祝福)~
今日の聖書に書かれているのは、普通では考えにくい風景です。狼と子羊、豹と子山羊、子牛と若いライオンとよく肥えた家畜がみんな一緒にいて仲良くしているのです。狼と豹と若いライオンは、子羊や子山羊や家畜を襲って食べてしまうものなのに、みんな仲良くできていて、そのリーダーが小さな少年だというのです。そして、さらに牝牛と熊は一緒に草を食べてライオンも藁を食べるというのです。赤ちゃんが毒蛇の巣で遊ぶというのです。
何だか変です。普通の世界では起こらないことが書かれています。肉を食べる動物は草を食べる動物を襲って食べますが、みんな仲良しになっているのです。そして、小さな少年がその状況へと導くと言います。
これは、現実ではありえません。でも、今日の聖書の言いたいことは、ありえないことはありえないとあきらめることはないということです。ここで描かれているのは、一言で言えば「平和」な世界です。
「平和」な世界は子どもから始まっていくのだよと聖書は言いたいようです。一方で、世界の歪みの被害は、まず子どもから始まります。食べ物が足りなかったりなかったりすること、貧しさ、戦争や紛争、家庭の中での困ったことなど、まず最初に悲しく辛い思いをするのは子どもたちです。
だからこそ、平和は子どもたちから始まるのだと言いたいのでしょう。あの不思議な群れのリーダーが小さな少年だということは、子どもこそがおとなが作れない「平和」を作り出すことができると聖書は言っているのだと思います。教会は、この子どもの姿にクリスマスの主イエスを見ています。今日の聖書の弱い動物と強い動物、襲うものと襲われるものが一緒に仲良く暮らす群れを率いていく少年の姿が主イエスなのです。
世界は今、「平和」ではありません。しかし、主イエスには強い願いがあります。強いものが弱い者を痛めつけてはいけない。富んでいる者が貧しいものを軽蔑し貶めてはいけない。有り余るほどの食べ物を自由にする人たちが食べられない人たちを作り出すことはよくない。クリスマスの赤ちゃんの主イエスは、みんなが「平和」で生きられるための世界を求め続けていったのです。
子どもから始まる平和への願いは実現していくのだと信じることができるなら、すべての子どもたちも素直な心で赤ちゃんの主イエスの心と響き合えるかもしれません。赤ちゃんや子どもの「平和」を求める心を忘れてしまったおとなたちも少しばかりは、そのことを思い起こすことへと導かれるのではないかとも思うのです。
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