マタイによる福音書 16章18~20節 「心を一つにして求めるなら」 原 直呼
「19…どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。20二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」の最後は、本田哲郎訳も田川建三訳も「わたしもその中にいるからである。」となっており、主イエスが真ん中にいてくださるからこそ、わたしたちは心を一つにすることができるし、そのようにして求めることを神はかなえてくださるのだと読めます。ただ「あなたがたのうち二人が」は、その後の「二人または三人」からも、二人から広がっていくものと考えられます。
また、本田哲郎神父は「心を一つにして実行に移すことは」と訳しています。実行が伴ってこその祈り。ただ、「実行に移す」ことは必ずしも「みながそろって行動を起こす」こととは限らないと思います。様々な事情で「共に行動する」こともある。行動を起こせる者の背後には「心を一つに」した者たちの支えがある、ということではないでしょうか。
「心を一つにして求める」ことは、一見心地よく、安心できるような感じですが、実はとても難しいようにも思います。多くの情報にさらされ多様な価値観を持ついっぽうで同質者集団をつくりがちなわたしたちが、仲間意識を超えて、一人ひとりの気持ちをあわせて願う、田川訳で言えば「願い求めることについて地上で一致する」ことは、現実と照らし合わせて想像すると、かなりハードルが高いようにも思えます。
このハードルを超えようとしている方々のことを、教区平和集会での渡邉さゆりさん(日本バプテスト同盟牧師)による講演で知りました。日本バプテスト同盟とミャンマーキリスト教バプテストは、2019年に宣教協約を結んだそうです。2021年2月にミャンマーで軍事クーデターが起きたことを受け、渡邊さんたちは毎週金曜夜、「拘束された市民の解放を求め、民主化のために抵抗する人々との連なりの証しとして」オンラインで祈り会を始めました。8月に結成した「アトゥトゥ(いっしょ、共に、の意)ミャンマー」は、活動の特徴のひとつが「抵抗運動としての祈り会を軸に運動を続ける」です。まさに「心をひとつにして求める」です。献金が集まり、送金・支援物資の送付も始まりました。祈りを中心に置いて3年間一度も休まず続け、自然発生的に活動が様々に広がっていくアトゥトゥミャンマーは、聖書の言葉のリアルとして、その存在を示しています。
アトゥトゥミャンマーから希望を与えられて、困難な道ではあるけれど、神の国の実現を「心を一つにして求める」ことができますようにと、今、あらためて願います。
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