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2024年6月30日 (日)

ヨハネによる福音書 4章43~54節 「言葉を信じて」

 今日の箇書は「見ないで信じる者は幸いである」がテーマとして根底にあります。「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と言う役人に対して「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」と返す主イエスの言葉を信じたら癒されていた、という物語です。主イエスは敵対する勢力に所属している人に向かって「あなたの息子は生きる」と語りかけているのです。この主イエスの言葉の姿勢は、今、増殖し続ける「ヘイトスピーチ」とは真逆のものです。

 主イエスの言葉とは、世の中に溢れている、暴力的、破壊的、抑圧的、差別的、排除的な力を振る様々な悪を退けるものです。人を豊かないのちへと招き導くものです。この主イエスの言葉を信じることが「あなたの息子は生きる」が事実として起こされるのだとの証言がここにはあります。ヨハネによる福音書は次のように始まります。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」ここにある言こそが主イエス・キリストです。と同時に創世記の初めの部分で「光あれ。」と語られた創造の主と別の方ではありません。創世記1章の終わりにある「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」この「見よ、それは極めて良かった」のは、神によって祝福された世界であり、あらゆるいのちです。この「極めて良かった」という言葉と「あなたの息子は生きる」という言葉は同じ方向を示しています。いのちの祝福であり、全面的な肯定です。より豊かないのちへの招きです。この言葉のもたらす方向性に連なっているのかという問い、さらにはすでにわたしたちはこの方向性に包まれてしまっているがゆえに「あなたの息子は生きる」との言葉を信じた役人の信仰の道と決して無縁ではないことを確認しておきたいです。

 わたしたちは、荒んだ暴力的な言葉の世界に暮らしています。この只中に向かって、主イエスにある全面的ないのちの肯定の生かす言葉を受け取ることは赦されており、希望を抱くことへと招かれているのです。

 主イエス・キリストの言葉とは、生かす力そのものです。そして、主イエスの言葉とは生きるにも死ぬにも慰めの言葉として語り続けられていくのです。ここに希望をつなぐ一人ひとりであり、群れであることを確認しておきたいのです。

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