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2024年5月 5日 (日)

ヨハネによる福音書 16章25~33節 「しかし、勇気を出しなさい」

 「わたし」が、「わたし」に対しても、あなたに対しても、誰かないし社会に対しても、自立した存在として生きていないからなのではないかと聖書から問われているのではないでしょうか。「あなたがたには世で苦難がある」というその現実から逃げたいがための行動を選び取ってしまっているのではないかとの反省があります。「わたし」が「わたし」であるために「あなたがたには世で苦難がある」現実を引き受けていく道をあえて選び取るようにと、主イエスは招き促しているのではないかと思うのです。

 「わたし」が「わたし」であることにおいて正直であるか、「わたし」があなたとの関係において誠実な意思表明を行っているか、誰かないしは社会において平和と正義を実現する方向にあるか、これらを自己吟味する促しとして「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」という言葉があるのでしょう。できることなら苦難は避けたいというのが人間の本性でしょう。個人としても集団としても妥協してしまう闇の世界観に飲み込まれてはいないか、自らが引き受けるべき苦難から逃げてはいないか、このように問われているのではないでしょうか。この問いは、厳しさを伴うものではあるでしょうが、この言葉を語っているのは、他でもない主イエス・キリストであることを忘れてはなりません。わたしたちの「自立」を支えるのは「わたしは既に世に勝っている」として世の初めから終わりまでのすべてを支配する主イエス・キリストであるのだから、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。」という言葉は、ただの厳しい命令ではないのです。まず、「わたし」が「わたし」となり、あなたがあなたとなり、わたしたちがわたしたちとなる、自立を支える生き方への招きがあるのです。

 主イエス・キリストは今日の教会に向かっても語り続けておられます。パレスチナやウクライナはもとより日本国内においてもヘイトスピーチやハラスメント、貧困など苦難は山積みです。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」。主イエス・キリストは勝利者である、このことを根拠にした自立として平和と正義を求める歩みを、正直さをもって何度でも最初から始めていくことができるように願っておられるのではないか、そう信じるのです。

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