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2024年1月 7日 (日)

ルカによる福音書 2章8~20節 「羊飼いたちの賛美」

 当時の被差別者である羊飼いたちは、主イエスとマリアとヨセフとの出会いによって生き方を全面的に変えます。20節に「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」とあります。救い主である幼な子との出会いがあまりにも素晴らしかったので自分たちの現場に向かって賛美歌を歌いながら帰って行ったと読めます。しかし、この「賛美しながら帰って行った」とは、賛美する姿勢で自分たちが現場で生きる決意をしたのだと読む方が相応しいと思います。かつては他人の眼差しに敵意や悪意を感じ、できるだけ接触を避け、また自己卑下もあったであろう羊飼いたちが、それらとは正反対の生き方へと転じたということではないでしょうか。胸を張り、正面を見据え、自らの尊厳を認めつつ生きる生き方へと転じたのです。神を讃える賛美の生き方とは、自らの尊厳に生きることと別のことではありません。強いられる軽蔑などの苦しみに寄り添う無力な幼子こそがまことのキリストであることは、自分たちの生き方を全面的に認め支えるところの「あなたがたへのしるしである」のです。 羊飼いたちが「賛美しながら帰って行った」という生き方の転換は、いわば人権の回復がなされたのだと理解します。この人権の回復に寄り添うのかどうかが、クリスマスの実質化と非常に強く共鳴しているのだと考えざるを得ないのです。クリスマスを祝うということは、ただ単に主イエス・キリストがこの世に向かってプレゼントされたことに留まらないのです。問題は、その中身であり方向性です。そして、それを自分たちの課題として担うことが、そのプレゼントとしての恵みに応えていく道なのではないかと思うのです。

 主イエスのナザレでの登場においてイザヤ書の言葉があります。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」。このような解放、自由への招きとしての「主の年」の実現が主イエスなのです。水平な平等な人間関係、お互いの人権が尊重される社会の実現です。この方向付けがクリスマスでもあるのです。

 クリスマスにおいて主イエス・キリストというプレゼントを何にも代え難い恵みとして受け止めたいのです。そして、わたしたちも、羊飼いたちの「賛美しながら帰って行った」という生き方に心を寄せ共鳴する、わたしたち自身の「賛美しながら帰って行った」が出来事となる道を求めてご一緒に歩みたいと思います。現代の課題としてクリスマスの祝福を共に受けることとは、現代の羊飼いたちと連帯していくことと、この世において弱い立場に置かれている人びとの尊厳を取り戻す働きにつながることと、別のことではありません。

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