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2024年1月14日 (日)

マルコによる福音書 2章21~22節 「醸し出せ!いのち」

 今日の言葉は、おそらく一般的な暮らしの中での知恵として語られてきた格言だと言えます。いわば、どこにでも転がっているような言葉です。重要なのは、言葉の意味自体ではありません。しばしば、何を語るのかについては誰がどのような状況で語ったのかの方が読み解きにとって重要であることがあります。このどこにでもある格言ですが、語っているのが主イエス・キリストであることにこそ意味があるのです。

 あなたは世間や社会の強いる価値観によって生きるべきではない。本来、神はすべてのいのちを全面的に肯定し、祝福している。その肯定と祝福が今、ここに実現したと、主イエスは癒しの業や宣言によってなしたのではないでしょうか。あなたには、主イエスに支えられた、満ち満ちたいのちのエネルギーが与えられている、それを正面から恵みとして受け取ることがすでに赦されている。それを受け止めさえすればいい。このようにして、時代の強いる病に代表される不自由からの解放を行ったのです。価値観の逆転として、です。主イエスの癒しの力とはエネルギー注入であり、そこで起こされるのは、いわば受容の受容ということです。受け入れられていることを受け入れるということです。今、あるがままの姿に対して条件を付けないで全面的にOKが出されているということです。

 主イエスの生涯が、ヨハネからの受洗時に天が裂け、十字架上の死の際神殿の幕が裂ける出来事であるなら、その語る言葉が当時の言い伝えや格言に過ぎない内容であっても、古い布切れや古い革袋を破るほどのいのちが漲っているのです。このいのちの勢いに身を任せていけばいいのです。

 著者マルコは言います。あなたは、主イエス・キリストからもたらされた溢れ出るエネルギーに満たされてしまっている、そこに身を委ねて歩め!何故なら、古い布切れと古い革袋は、主イエスの人を生かすエネルギーによって破られているからだ、ここに立つことへと導かれているのだから、真正面から受け止めさえすればいい。それだけのことに今立ち返れ!あなたは生きる意味や価値など自分にはないと強いられ、自分でも思い込んでいるかもしれないが、それは幻に過ぎない。あなたのいのちは神によって生き生きと漲るいのちのもとにある。主イエスにおける無条件で資格を問わないいのちの全面的な肯定感に包まれてしまっていることを自覚せよ、と。

 主イエスの招きは、それだけで聴くに十分な恵みに漲っているのです。誰彼からのレッテル張りや権威や権力から強いられた価値観によって理解させられてしまっている自分から、本来のあるがままの姿で受け止められ支えられてしまっている自分へと位置をズラすことで整えること。ここから生き生きとした、喜ばしい自分を生きていくことへの方向付けが与えられるのではないでしょうか。醸し出されるいのちに共に与って歩んでいきたいと願います。

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