ルカによる福音書 4章14~21節 「主の恵み」
ルカ福音書によれば、主イエスの登場は「主の恵みの年を告げるためである」ということです。この「恵みの年」とは、レビ記25章に描かれている「ヨベルの年」のことです。細かい規定になっているのですが、連作障害のことを考え畑を7年目に休ませるという、当時の農業の知恵が反映されています。大きなテーマは、7の7倍の次の年には、つまり50年目ごとに1回、すべての借金はなくされるし、土地も元の持ち主に返され、奴隷も解放される、というものです。これが本当に実行されたのかどうかは確かではありませんし、読み方によってはイスラエル同胞の間という閉じられた発想もある感じなのです。もしかしたら、この「ヨベルの年」というものは、イスラエルの民が頭の中で思い描いただけの夢物語や理想の繁栄に過ぎないのかもしれません。
しかし、イスラエルの民を選び支え導いた神の意志はどこにあるのかを祈りの中から応えようとした世界観であるなら、現代的な課題として受け止め直すには十分な問題提起であろうと思えるのです。借金に喘ぎ、土地も奪われ、奴隷とされてしまう過酷な現実、その歴史の中で、神による恵みが50年目の年において実現する、これは具体的な歴史に介入し、働きかける「主の恵み」以外の何物でもない、そのような信仰がここにはあるのではないでしょうか。
貧しいところ、困り果てているところに対して、歪みを平らにするように社会全体の不平等を一度リセットし、平らにするという発想があるのです。借金などで首が回らない経済状態を知っているからこそ、ここからの解放が「主の恵み」なのだとされるのです。社会をもう一度正しい方向に向かって作り直していく道はないのか、このことを人間の知恵によるのではなく神による主の恵みとしての律法、掟の回復として主イエスは登場したのです。いわば、世直しの具体として、です。これをこそ「福音」なのだとルカは証言しています。さらに「捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし」と。この「ヨベルの年」「主の恵みの年」は不平等によって敗れた世界を回復するという教えです。
誰もが貧困や暴力やあらゆる悪しき力や出来事から解放され、喜びと平安のうちに生きることのできる世界が必ずや来るのだと信じる信仰において、今ある理不尽に抗い、主イエスにある正義を祈り求めつつ歩むとき、わたしたちの場には、クリスマスの主イエスが今年も来てくださるに違いないのです。
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