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2023年5月 7日 (日)

創世記 1章31節 「未来の子どもの家のために」

 「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」ここから神の思いは、混乱や混沌から秩序に向かって呼びかける創造の言葉だと知らされるのです。「良い」という言葉には「美しい」という意味があると言われます。神の言葉による創造の業の結果は美しいのだというのです。

 しかし、「この世界の一体どこが美しいというのだ?」そう考えるのが現実に暮らしいている人の正直な実感であろうと思います。身近なところから世界規模に至るまで、「美しくない」現実を突きつけられる毎日です。この国の社会の細かなところから、紛争や搾取の絶えない広い世界も腐りきって、破滅寸前だと感じることも少なくないでしょう。

 しかし、だからこそ「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」との言葉を、今のこととして受け止めたいと願うのです。この言葉に込められている「本当」に触れたいとも願うのです。自由のない窮屈な社会の中で、人間らしさが失われつつある今だからこそです。わたしたち自身をも含めた世界は「良い」ものであり、「美しい」という神の言葉に絶えず立ち返って神の言葉に与りたいと切に願います。混乱や混沌の力、あるいは虚無という勢力や様々な悪に取り囲まれているのが、実際のこの世界です。この世の流れは、より混沌と混乱と虚無へと誘うことをやめないかもしれません。だからこそ、「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」との言葉の「本当」に与かり、そこに固く立ち、そこから歩み出す者とされたいのです。

 世界の一人ひとりすべてが、神の慈しむ作品なのだとの信仰に立ち返ることから、新しく生き直す道へと招かれていることに感謝をもって祈るものとされたい、そう願います。「良い」「美しい」と全面的に神の言葉によって肯定されているのですから、知恵や希望が引き起こされて行くに違いないと信じることはできるはずです。混沌と破壊、絶望という暴風の満ちているところに向かって、今も神は働き続けており、創造の業は続いているに違いないのですから。世界の一人ひとりすべてが、神の愛する慈しむ神の作品なのだとの信仰によって、新しく生き直す道へと招かれているのです。

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