エフェソの信徒への手紙 4章1~14節 「平和のきずなで結ばれて」
「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」と言われるところの中心は形ではありません。あくまで「霊による一致」なのです。様々な教派的な伝統や教会の習慣の中にあっても、他者を仲間と受け入れ合うことによって、「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し」という、信仰における一致、霊の一致が実現されるのだと信じています。霊による一致というのは人間の側からのものではありません。まことの神であるイエス・キリストによってのみ「一致」が与えられるのです。それぞれが与えられている恵みとしての賜物に応答しながら、それぞれの役割が担われていけばいいのです。教会という具体的なこの世における体の部分を一人ひとりが担いながら成長していくという促しがあるのです。そうは言っても、霊による一致は人間の側から作り出せると誤解して、教会を一つの色に塗りつぶしてしまうという誘惑から自由になることは実際難しいです。人間の側からの「一致」は、「排除」を生み出す危険がることを肝に銘じておきたいものです。
「一致」しているのは、同じ主イエス・キリストに呼ばれ、招かれ、集められているという事実であることを忘れてはなりません。信仰理解においてもズレやすれ違いは当然起こり得るものと思える心の余裕を持ちたいものです。そのためには、自分の信仰を冷静に見極め、相対化する姿勢を忘れてはならないと思います。教会によっては、社会層やものの考え方や支持政党、あるいは服装や食べ物の好みさえも似たり寄ったりになってしまうこともあるかもしれません。しかし、「一つ」であること「一致」ということは、主イエス・キリストが一人であって、その名のもとにあるわたしたちなのだという認識が重要です。また、教会での「一致」というときに、水平関係を失いたくないとも考えます。言葉や組織に上下や優劣を取り入れてはならないということです。主イエスにある平等感覚から外れるのであれば、支持政党を含むものの考え方は修正していく必要が生じるはずです。
バラバラなわたしたちが集まってこそ、「一つ」の体を作り上げられるのです。わたしたちは体のあらゆる節々として、互いに補い合うことによって組み合わされ、結び合わされて、成長し、愛によって人格が作り上げられていくのです。「バラバラをもって一致とする」教会のあり方を良しとしたいと思います。
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