« 創世記 3章20~24節「皮の衣といちじくの葉」 | トップページ | 創世記 11章1~9節 「人間の欲望を神は‥」 »

2023年2月 5日 (日)

創世記 4章1~12節 「きょうだい」

 カインとアベルの物語において投げかけられているのは、社会的・経済的・文化的により豊かとされる側から、より貧しい側に向かって、より強い側からより弱い側に向かって、自然に配慮する姿勢が必要だということです。傲慢にならず、卑屈にならず、守る側も守られる側もお互いを大切にしあうことが求められているということです。

「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」という神からの問いかけは、「弟の番人」「弟の守り手」という自らの立場を自覚していくことへの促しがあるのではないでしょうか。現代においても人類は「地上をさまよい、さすらう者」としての限界の中に置かれており、相も変わらず、様々な仕方での「きょうだい殺し」から自由になることができず、殺戮はやむことがありません。「血が土の中から叫んでいる」現実において呪われているとしか思えないような事態です。カインによるアベル殺害の出来事は決して原初史のエピソードのひとつに留まるものではありえません。人類がアダムとエバの末裔ならば、すべての民は「きょうだい」です。「きょうだい殺し」は現代に至るまで、様々な形を変え、規模の大小はあるけれど、人間の歴史の中で絶えることなく起こり続けているのです。

 解決への道筋はあるのだろうかと恐れや不安などに陥り、希望が見いだせなくなっています。より強力な軍事的な力を増し加えていく道しか世界には残されていないのでしょうか。確かに、即効性のある解決方法は見つからないでしょう。かといって手をこまねいていることも誠実ではないように思われます。カインの末裔であることをわきまえ、その呪いを自ら引き受け、「地上をさまよい、さすらう者」である現実の中で神の意志を受けて歩むことしかないのではないでしょうか。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。」という思いの中で、「わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」という脅えに囚われてしまっているのでしょう。それでも、神の守りのゆえに祈りによって神から自らのあり方の正しさへと導かれ、「今この時」になすべきこと、すべきでないことを見極める知恵、絶望に陥らない希望、平和を実現する勇気、これら主イエス・キリストからやってくる聖霊の助けから始めていくことしかないのでしょうか。人間という限界のゆえに、絶対的な正しさを得ることは不可能ではあるでしょう。しかし、限界ある人間に対して託された道があると信じることはできるのではないでしょうか。

« 創世記 3章20~24節「皮の衣といちじくの葉」 | トップページ | 創世記 11章1~9節 「人間の欲望を神は‥」 »

創世記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 創世記 3章20~24節「皮の衣といちじくの葉」 | トップページ | 創世記 11章1~9節 「人間の欲望を神は‥」 »

無料ブログはココログ