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2023年1月15日 (日)

マタイによる福音書 4章18~22節 「人間をとる漁師」

 主イエスに招かれた人たちは、必ずしも模範的で立派な人格であったわけではないのです。むしろ、主イエスの真心から離れてしまうような鈍い心根から自由でなかったことが分かります。しかし、この人たちが主イエスから呼ばれ、招かれ続けていた事実は揺らぐことがありません。主イエスの逮捕に際して逃げ出すような見苦しさからも、また他の弟子たちよりも自分たちが優っているという思い上がりからも自由ではありません。彼らが主イエスを見捨てることはあっても、この人たちは、主イエスから見捨てられることはないのです。主イエスは、弟子たちの混乱や迷いにもかかわらず、一貫して愛することをやめないのです。この弟子たちへの思いを、復活の後に彼らは気付かされ、自らの裏切りを思い知らされるところから立ち直り、自らの現場であるガリラヤへと立ち返る勇気と希望が与えられたのです。この弟子たちへの主イエスの思いは、現代の弟子たちであるわたしたちへの思いと変わることはありません。主イエスは、誰であれ、どんな人であれ、その人の丸ごとのいのちを無条件に、そして全面的に受けいれ、肯定し、赦し、愛し続ける方なのです。

 この主イエスは、直接の弟子たちだけではなくて、様々な弱りや病、苦しみや悩み、悲しみの中にある人たちと、どのような場でどのように出会ったのか、またどのようにして生き直しを促しながら一緒に生きることを志したのか、を今のこととして捉えなおすときには、主イエスは時代を越えて過去の人ではなくなるのです。今、確実に復活者として生きている人であることが確認されるのです。わたしたちが、自分のことを顧みるならば、こんな時にはイエスならどうするのだろうとか、あの人やこの人の仕草や口ぶりの中に主イエスの影を見るような感覚を覚えるとか、今のこととしての主イエスを身近なこととして捉えることができる瞬間ってあると思うのです。

 「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と主イエスは、活動の最初に4人の漁師たちを招きました。重要なのは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」という言葉の促しによって、それぞれの場で知恵を働かせ、工夫や創造によって、より人生の質を高めていくような人間関係を作り出していく方向に招かれていることを信じていくことです。より幸せな道、生きていることの幸いに生きることとはどのようなことなのかを絶えず主イエスにあって確認し、実践していくことに他ならないのです。この道への招きが「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」という言葉の意味するところです。

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