ローマの信徒への手紙 8章14~17節「わたしたちは神さまの子ども」(子ども祝福礼拝)
(子ども祝福礼拝)
イエスさまが神さまの大切な子どもとして人間になったことによって、イエスさまは神さまからの力を受けて、他の人たちみんながきょうだいとなる道を作り出してくださいました。誰もが神さまの子どもとして愛されていることを教えてくれたのです。みんなのいのちが何よりもとても大切だよ、と教えたり、困っている人を助けたり、ご飯が食べられない人と一緒に食べたり、悲しかったり寂しかったりする人たちを慰めたり、力づけたりしたのです。今生きていることは、本当はうれしいことなんだよって。
そうすると、みんなもだんだんとイエスさまの心が分かるようになってきたのです。イエスさまが大切に思っているのは、強い人や正しい人、ユダヤ教の教えや約束事を守ることではなく、もっと別なことだと気が付くようにされたのです。今日の聖書のローマの信徒への手紙の別のところでは「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(12:15)」という言葉がありますが、この手紙を書いたパウロさんが、誰かと「共に」「一緒に」生きていくことがイエスさまの心であり神さまの願いだと分かったからこそです。
霊という目に見えない神さまの力を信じたパウロさんは、イエスさまという神さまから与えられた、より弱く、つらい人たちと一緒に「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(12:15)」という言葉を語る人にされたのです。目に見ることはできなくても、すぐ傍にいて守ってくれるし支えてくれている、そういう神さまが自分たちを子どもとして大切にしてくれていることを伝えていこうと決意したのです。神さまの子どものイエスさまが一緒にいてくれるから、イエスさまの力が働くところの人たちはみんな神さまの子どもなのだというのです。
神さまがすぐ傍にいてくれる。そこにはイエスさまを中心とした神さまの子どもたちのつながりが「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣」くという出来事として起こるのだということです。ここで一緒に喜んだり、泣いたりする、みんな神さまの子どもとして守られている安心感が与えられているのです。
今日は、「子ども祝福礼拝」です。ここには子どもたちだけではなくて、おとなの人たちもいます。実は、今はおとなになっている人たちも子どもであった時代があります。今の子どもだけではなくて、昔子どもだったおとなたちも一緒に神さまの子どもなのです。一番上のお兄さんのイエスさまのきょうだいなのです。
今日は、今の子どもたちに祝福を祈りますが、同時に昔子どもだったおとなたちも神さまの子どもとして守られているし、祝福されていることを忘れないようにしたいと思います。子どももおとなもイエスさまの神さまの子どもとして、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」というつながりの中で歩んでいこうよ、という呼びかけに包まれていることを忘れないように歩んでいきましょう。
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