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2022年10月23日 (日)

コリントの信徒への手紙一 12章27~28節 「ミャンマーの子どもたちと」 (キリスト教教育週間)

 ミャンマーは安定した歴史を歩んできてはいませんが、昨年2月1日に発生した軍事クーデターにより軍隊が国の主導権を奪い取ってからさらに厳しいことになっています。ミャンマーは軍隊によって成り立ち、成長してきたという事情がありますから、軍隊はミャンマーの人びとから支持されることなど必要としていません。軍隊こそが国を正しく導くのだという固い信念を感じさせます。要するに軍隊の言うことだけを聞く政権を作り出し、完成させるところにあるのです。軍事によって、すべての国を治める方向こそが正しいのだという理屈があるのです。そのために目障りなアンサウンスーチーとNLD(国民民主連盟)を排除したいという願いに基づいているのです。

 しかし、軍隊とは関わりなく穏やかで銃を向けられることなく暮らしたい、という多くの人々の中から具体的に対して明確に抵抗する人々もいます。その抵抗の一つが、先ほど観ましたスライド、アトゥトゥミャンマー支援の学習資料「ミャンマーに平和を」で展開されている、教育の働きであろうと思います。教育とは、ただ単に言葉や算数などの科目を知識として受け身で捉えることではありません。自分で考えることの基本を育てていくことです。自分がどのように生きていくのか、歩んでいくのか、などについては、直感とかフィーリングによるだけではなくて、自分の中で言葉を紡ぎ、発していくことによって育てられていくものです。この基本を押さえていけば、軍隊こそが、あるいは自分こそが正義であるという発想につながる人間になっていくことはないだろうと思います。その時々の雰囲気や空気に流されることなく、「わたし」になっていくことができると信じています。

 今日の聖書は次のように語りかけています。「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。」。この聖書を広い意味として受け止めたいと思います。人のいのちが銃などによって脅かされていても、生き抜くための民衆の知恵の世界観があるのだと教えているのではないでしょうか。そのためには、具体的にこちらの側も銃をとるということも否定はできませんが、もっと別の抵抗の仕方もある、様々な賜物をもつ人々がいるのだから、知恵を出し合うことで開かれる道がある。もっともっと新しいことや別の物語やワクワクしながら喜んで抵抗していく、このようないのちのつながりに生きる道があると信じることが赦されているのではないでしょうか。

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