ローマの信徒への手紙 15章13節 「戦争のない世界を望む」
わたしたちは、より弱くされ、苦しみが強いられ、屈辱的な場にいる人たちに対する共鳴や共感を持つことができているでしょうか。お金や権力や社会的地位などいわゆる「強さ」に象徴されるあり方を良しとする価値観がわたしたちの身体に染み込み、生育環境や教育によるいのちの上下、優劣を無自覚にうけいれてしまっているのではないでしょうか。今生かされている他者への理解のなさは、戦争を無条件に否定することを困難にします。
このいのちへの共感と共鳴について、昨日の広島「原爆の日」の平和式典で小学生たちによって練り込まれた平和への誓いで語られていました。【……今この瞬間も、日常を奪われている人たちが世界にはいます。戦争は、昔のことではないのです。自分が優位に立ち、自分の考えを押し通すこと、それは、強さとは言えません。本当の強さとは、違いを認め、相手を受け入れること、思いやりの心をもち、相手を理解しようとすることです。本当の強さをもてば、戦争は起こらないはずです。過去に起こったことを変えることはできません。しかし、未来は創ることができます。悲しみを受け止め、立ち上がった被爆者は、私たちのために、平和な広島を創ってくれました。今度は私たちの番です。被爆者の声を聞き、思いを想像すること。その思いをたくさんの人に伝えること。そして、自分も周りの人も大切にし、互いに助け合うこと。世界中の人の目に、平和な景色が映し出される未来を創るため、私たちは、行動していくことを誓います。】ここで言われている「本当の強さ」を支えるのは、想像力、そして他者に対する共感と共鳴だと思います。わたしたちが生まれ育ち、教育されてきた(より正確には「飼育」されてきた)「強さ」という価値観とは相反する「強さ」です。
そこで必要とされるのは、人間が平和へと歩む方向付けなのではないかと考えます。沖縄県糸満市の「沖縄県平和祈念資料館」の展示室の出口に掲げられている「むすびの言葉」には【戦争をおこすのは たしかに 人間です しかし それ以上に戦争を許さない努力のできるのも私たち 人間 ではないでしょうか 】とあります。同じ人間でありながら、戦争を行うことと行わないことの違いは、先ほどの小学生たちによって作成された言葉から言えば「本当の強さ」だろうと思うのです。
今日、わたしたちは次のような聖書の言葉によって支えられています。すなわち、「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように」と。絶望の時代状況の中にあっても、あえて希望する信仰が、聖霊の働きによって支えられるのです。この聖霊は、偽りの「強さ」を退ける力です。「弱さ」ゆえにこそ、まことの「強さ」へと導く力そのもののことです。この根拠であるところの復活の主イエス・キリストの生前の立ち居振る舞いに真似びながら歩むところに、「戦争のない世界を望む」道は開けるのです。
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