ルカによる福音書 12章10~12節 「信仰を言い表す」
~子どもとおとなの合同礼拝~
主イエスの活動は、ガリラヤ地方からユダヤ教の中心の街であるエルサレムに移ってきました。ある晩、弟子たちと一緒にいるところに、主イエスを邪魔者だと思っていた人たちに連れられた兵隊たちがやってきて、主イエスは逮捕されてしまいます。その時に、あれほどどんなことがあってもイエスさまについていくと言っていたペトロは怖くて逃げ出してしまったのです。そして、主イエスが逮捕されて、裁判を受け、十字架で殺されていくのを遠くから見ることしかできませんでした。その時に色んな人たちから、「お前はあのイエスという人の仲間ではないのか」と聞かれます。ペトロは自分も捕まってしまうのではないかと不安で、「そんな人は知らない」と3回も答えてしまったのです。
主イエスは十字架で殺されてから3日目に生き返りました。この復活の主イエスは逃げ出してしまった弟子たちを赦し、聖霊の力によって励まし勇気を与えるのです。ペトロは、主イエスと一緒にいることができなかったこと、逃げ出してしまったことが恥ずかしくて悲しくて仕方がなかったのですが、こんなひどい自分を主イエスが赦してくださったということに驚き、そして嬉しさに溢れます。復活の主イエスから新しく生きていくことができる力をいただいたのです。この力によって、心の底から「信仰を言い表す」ことができるようにされたのです。「イエスさま大好き」という言葉がはじめて本当にされていったのです。「イエスさまが大好き」なのは、主イエスの復活の力の赦しにあることが知らされたのです。このことによってペトロは、主イエスの仲間であることを怖がったり脅えたりすることをしなくなりました。「イエスさま大好き」という、とても明るい心や気持ちで生きることができるようになったのです。主イエスを邪魔者だと思うような人たちにいじめられたって本当に怖いことではない、と分かったからです。何があっても、どんなことが起こっても復活の主イエスのお守りがあるから大丈夫だと知らされたからです。
困ったことや辛いこと、悩みや悲しいことがあっても、主イエスの力に導かれて自分の言葉で言い表すことができるようにされたのです。今日の聖書には、このように書かれています。「会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」どんな時でも、イエスさまは目に見えなくても聖霊として一緒にいてくださるのだから大丈夫、わたしたちの語るべき、そして聖霊の働きが言葉を作り出し、導き、支えてくださることを知っていれば大丈夫なのです。
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