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2022年5月 8日 (日)

ヨハネによる福音書 13章31~35節 「愛するということ」

 イエス・キリストは「新しい掟」とは「互いに愛し合いなさい。」であると語ります。聖書の語る「愛する」という言葉を本田哲郎神父は「大切にする」と訳しています。その通りだと思います。相手を他に取り換えることのできない尊いものとして受け入れ、尊敬の念をもって接することだと思うからです。必要であれば時には、その「愛」のゆえに批判していくこともあり得るということです。ただ忘れてはならないのは「愛しなさい」ではなく「愛し合いなさい」と言われていることです。一方的な「愛」は、時に相手を苦しめることがあることを踏まえておくべきでしょう。お互いが対等な人格同士や共同体の関係の中で実践していくことが「互いに愛し合いなさい」との「新しい掟」に応えていくことだと言えるからです。

 「愛し合いなさい」とは、関係を自らの内側に閉ざしていくことではなく、他者との関係を切断していくことでもありません。ましてや、憎しみや殺意など敵対心を募らせていくことではありません。そんなこと当たり前、と思ってしまいますが、しかし悲しいかなわたしたちは、一方を愛することが他方を排除することになりがちです。そして自分と違うものを受け入れることが苦手です。しかし、その違いを排除の理由にしてはいけないということです。意見などが違っていれば、正していく必要があるなら、話し合いという言葉を信じ、通じ合う努力を続けていくことです。井上ひさしの『子どもにつたえる日本国憲法』という本があります。9条1項の終わりはこのように表現されています。「どんなもめごとも筋道をたどってよく考えて、ことばの力をつくせば、かならずしずまると信じるからである。よく考えぬかれたことばこそ私たちの本当の力なのだ。」言葉の限りを尽くすその根底には、相手への愛があるはずです。

 相手を他に取り換えることのできない尊いものとして受け入れ、尊敬の念をもって歩むことへと導かれるのは、人にその能力や才能などがあるからではありません。主イエスは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」。と語ります。「わたしがあなたがたを愛したように」が決定的な根拠です。ヨハネによる福音書316 節に「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」とあります。ここでは「独り子を信じる者」との限定が記されていますが、重点は前半にあります。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」とあるところの「愛」の現実こそが、人に「愛する」ことへと導くからです。

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