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2022年3月13日 (日)

エフェソの信徒への手紙 6章10~20節 「悪に抗う信仰」

 この手紙の訴えている「神の武具を身に着けなさい」とは、祈り祈り合うところから、自らの人間の正義が正されて神の正義に近づいていく道を示します。そしてさらには、「鎖につながれてい」るような不自由な状況の中にあって「語るべきことは大胆に話せるように」なる道の途上にあることを信じることができるのです。悪に抗う「神の武具」とは、人を傷つけ殺傷していくものではなく、人を喜びに向かって生かしていくものです。囚われの身にある手紙の著者と共鳴するような苦難の中にある人たちが、イエス・キリストによって結ばれていると信じることから始めるのです。わたしとあなた、わたしたちとあなたたち、このような関係の間に主イエスが仲保者として支えていてくださるのです。支配―被支配の関係を生み出す「武具」ではなく、「神の武具」を身に着けるならば、対等なあり方が神からの賜物として与えられるのです。このような関係を育てていくあり方をもって、「支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊」の武装を解除するような平和的な「神の武具を身に着け」ると理解します。イエス・キリストから来る「真理」「正義」「平和の福音を告げる準備」「救い」「霊」という「神の言葉」によって、214節の「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」ていく道が備えられるのだと信じたいのです。

 強さに驕り高ぶる権力者が思うままに勝手な振舞い、弱さに喘ぐものがさらに貶められ痛めつけられていく時代をわたしたちは生きています。「神の武具」から導かれる共鳴、響き合う心が開かれていけば、やがて主イエスの願う世界へと向かう希望が与えられるに違いないと信じ、為すべきことを為していきたいと願います。

 聖書の神は、具体的な人間を道具として用いて、歴史の只中に働きかけてくださる。祈りをもって、このように信じ続けるところにキリスト者の希望は絶えることがなく続き、やがて来るべき日に向かう途上に向かうのでしょう。必要な知恵や語るべき言葉は、その都度に私たち人間の知恵を越えたところからやって来るはずだと信じながら、暗い闇に覆われた苦難の時代を生き延びつつ、前進したいと願います。そのように生きること、それは神の助けとしての「武具」に応じて祈り続けることです。破局の時代であることが切実にでるからこそ、主イエスにおける希望の道をあえて選び取る勇気が与えられることを願います。

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