マルコによる福音書 8章27~33節 「イエスの背中に向かって直れ!」
主イエスはペトロの告白を聞いてサタン呼ばわりしながら「引き下がれ」と𠮟りつけます。これを「私の後ろに直れ」と渡辺英俊牧師が訳しています。そうすると、「前へならえ」のイメージからもう一度主イエスの背中に向かって直れ!と促しているように思われるのです。残念なことにペトロだけでなく弟子たちは、この言葉の意味するところを主イエスの生前には理解できなかったようです。正しい信仰告白である「あなたこそが唯一の救い主です」という言葉は、「主イエスの背中に向かって直れ!」という促しに聞き従うことなしには意味をなさないという戒めの物語なのだと思います。
この、ペトロの口先だけの信仰告白と比べることのできる物語があります。それは、14章の初めの、いわゆる「ナルドの香油の物語」です。食事の席にやってきた名前も残されていない一人の女性が「純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。」という事件です。香水は、ほんの一滴でも強く香ります。それを全部ぶちまけたら咽返るほどでしょう。せっかくの食事が台無しです。しかし、主イエスは「するままにさせておきなさい」というのです。「この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。」と説明しています。油を注ぐことは王の即位の儀式を思い起こさせます。そして同時に埋葬の準備でもあるというのです。こののち十字架にかけられた主イエスの亡骸は、そのまま、油を塗るなどの処理をしないまま墓に収められたことが聖書の記事から分かります。しかし、亡骸に塗る油はすでにここでなされていたとも読めるのです。香油を注ぎかけた女性は、一言も発していません。言葉だけで告白したペトロと対称的です。マルコ福音書は、この女性の香油を注ぐという行動が、主イエスの受難予告の内容に対応した相応しい信仰告白の態度であったことを読者に分からせようとしているように思われます。行いとしての信仰告白を際立たせることで、弟子たちを代表とするペトロの口先だけの信仰告白のあり方を批判しているのでしょう。
主イエスを「あなたこそが唯一のキリストです」と信じ告白することには、行動や証しという従うことが同時になくてはならないのです。その振る舞いが具体的にどのようなものであるのかについては、その場その場における責任的な<今>の課題に真剣に立ち向かっているときに示されると信じることができるのです。
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