詩編150 「賛美するという生き方」
『詩編』は150の詩が集められており、今日の詩はその最後を飾るものです。様々な楽器を用いて晴れやかに歌い上げている姿が思い起こされます。まとめの6節は「息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。」とあります。命あるものはすべて神に向かって賛美するように定められており、そこには感謝があるのだと呼びかけているようでもあります。
「賛美するという生き方」とは、ただ単に神が素晴らしいとの告白ではありません。自分たち自身の言葉に誇りをもち、自分らしい生き方を肯定的に捉えることによって、あるがままの姿で自信を失うことなく堂々と他者に向かい合える存在に変えられていくことです。肯定されていることを受け入れていく生き方と態度を賛美と呼んでいいのではないでしょうか。賛美に生きるとは、神に対して受け身であることから導かれる積極性と主体性に生きるということです。神からの光によって照らし出された人間の闇である自己中心の在り方や我儘や傲慢さから解放され、自由になっていく、この時に口から溢れ出す歌こそが賛美するということなのではないでしょうか。賛美とは、神の前にあって、神に応えて新しく生きるための決断であり告白であり祈りです。平和と正義を喜ぶ人間になっていく道の途中にいることが大切なのです。神からの呼びかけに応える賛美は、他者や社会に向かう関係を創り出す力を導き出していくものでもあります。
この世界は政治の低迷や不安定な経済状況など様々な問題や課題が山のように積もっている事実を否定することはできません。賛美なんていう吞気で悠長な生き方などできるものか、という声も聞こえてきそうです。しかし、キリスト者は、だからこそあえて賛美するのです。賛美するという生き方は激しい生き方であるという側面も持っています。反戦運動や革命が歌と共にあった/あるように。
この世の価値観や基準からすれば世界は「一寸先は闇」だとしか言えないような状況なのでしょう。しかし、神が聖書から語りかけていることに耳を傾けるならば、「一寸先は光」だと信じることができるのです。苦難や試練を見て見ぬふりをしたり、ごまかしたりすることではありません。これから先のことはどうなるのか、まったく予測できないのが現代の状況です。しかし、だからこそ今、あえて賛美する生き方を選び取る自由が備えられていることへの感謝をもって歩めばいいのではないでしょうか。
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