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2021年3月

2021年3月28日 (日)

マタイによる福音書 27章32~44節 「まことの神・まことの人」

 本日は、マタイによる福音書27:32~44をテキストにして「まことの神・まことの人」という題で説教します。教会の暦では「棕櫚の主日」と呼ばれています。復活の1週間前の主日であり、主イエスのエルサレム入城から十字架への道行きを覚えることにあっています。次主日はイースター・復活日の備えとなる日です。

 今日は「カルケドン信条」を読んでから始めたいと思います。

 「カルケドン信条」とは、451年にカルケドンで行われた公会議で決められたものです。カルケドンは、今でいうとトルコのイスタンブールの西の半島の南のあたりになります。「カルケドン信条」は、当時勢いのあった異端たちとの違いを言い表しています。それらの異端について詳しくは述べませんが、「カルケドン信条」の中心の一つは、キリストが100パーセント完全なる神であると同時に100パーセント完全なる人間であるとのキリスト論が明確に主張されるものです。少し長いのですが読んでみます。

 【この故に、我らは、聖なる教父らに倣い、凡ての者が声を一つにして、唯一人のこの御子我らの主イエス・キリストの、実に完全に神性をとり完全に人性をとり給うことを、告白するように充分に教えるものである。主は、真に神であり真に人であり給い、人間の魂と肉をとり、神性によれば御父と同質、人性によれば主は我らと同質、罪をほかにしてすべてにおいて我らと等しくあり給い、神性によれば代々の前に聖父より生れ、人性によれば、この終りの時代には、主は我らのためにまた我らの救のために、神の母である処女マリヤより生まれ給うた。この唯一のキリスト、御子、主、独子は、二つの性より(二つの性において)まざることなく、かけることなく、分けられることもできず、離すこともできぬ御方として認められねばならないのである。合一によって両性の区別が取除かれるのではなく、かえって、各々の性の特質は救われ、一つの人格一つの本質にともに入り、二つの人格に分かたれ割かれることなく、唯一人の御子、独子、言なる神、主イエス・キリストである。これは、はじめから、預言者らまた主イエス・キリスト御自身が懇ろに教え、教父らの信条が我らに伝えた通りである。】

 この間、福音書の受難物語を読み返す中で、「カルケドン信条」を現代においてどのように受け止めるべきかを考えてきました。そして、この「信条」本日の聖書の個書を解釈し直すに至りました。以前はこんな風に理解していました。<「本当に神の子であるならば、今すぐ磔られている十字架から降りてみろ」と罵られます。自分で自分を救えないくせにキリストなのか、と。全能のゆえに十字架から降りることもできたけれど、あえて十字架から降りて自分を救うということをしなかった>と。このような考えは多数派だろうと思います。しかし、「カルケドン信条」に照らしたとき、そもそもイエスは十字架から降りることをしたくでもできなかったと考える方が自然だと思い至ったのです。

 100パーセント人であるならば、十字架から降りることなどできない。それほど徹底してわたしたちと変わらない・全く同じ人としておられるのです。この、人として貫かれるあり方に、逆説的な意味で神の現実を読み取ります。

 反感や躓きを覚える方もあるかも入れません。伝統的にイエスは「まことの神」であると同時に「まことの人」であるとされます。カルケドン信条で言われる「実に完全に神性をとり完全に人性をとり」という点が重要だと判断するからです。100パーセント神であり、同時に100パーセント人であるという、常識からすれば矛盾に満ちた理解の仕方です。真実があると受け止めるところにこそ、キリスト教信仰が表わされると思うのです。

 100パーセント人であることに徹しているがゆえに、安易な神的能力を発揮することのない、わたしたちと変わらない・全く同じ人としておられるのです。ですから十字架から降りることができないのです。この様はゲツセマネの場でも表現されています。26:36 以下です。【それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」また、27:46の絶望もそうです。【 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。】ここまで、人として貫かれるあり方に、逆説的な意味で神の現実を読み取ったということです。

 では「奇跡物語」はどうなのか、という疑問が起こるかもしれません。これは非神話化の視点から理解します。古代人にとって「奇跡」としか呼べない「何事か」が確実にあったのでしょう。おそらく、非常に深く鮮烈な人格的な「出会い」によって生き直しへと導かれた人の経験が「物語」られているということなのです。この意味において、わたしは「奇跡物語」は非常に重要なものだと理解しています。

 さて、今日の聖書は常識的なフツウの人にとっては「これが救い主なのか?」との疑問が沸き上がることでしょう。また、こんな弱々しい姿から救われたと感じることができるでしょうか?しかし、この主イエスの十字架上での弱さは、わたしたちと変わらない人間としてのあり方を神が身代わりとして引き受けられていることを示すのだと、信仰という受け皿から理解したいのです。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」これらの罵りの言葉を痛みの中で聞いていたのです。逮捕される前の生活で休む間もなく活動し、体を酷使し、さらに鞭打たれており、体力はすでに消耗しきっていました。自ら負うべき十字架の横木さえ背負うことができなかったことが、「シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。」とあるとおり分かります。さらには、「一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。」とあるように、ずたずたで傷だらけの身体の状態で軽蔑と罵りの中に置かれていたのです。ここにあるのは、本当なら降りられるのに十字架から降りようとしない強靭な意志力ではなく、ただただ無力で物理的な、また言葉の暴力にさらされた「弱さ」の極みです。

 強さこそに価値があり意味があるのだ、と考え続けてきた古代から現代に至る世界の中で、この弱さにこそ意味や意義が立ち現れると聖書が提示した、と信じます。神の沈黙における、神の寄る辺なさにある見守りがあるのだとも信じます。すでに復活することが確実な約束であるのなら芝居がかった演技にしかすぎないでしょう。また、後に盛んになる「殉教者伝説」のような十字架の死が快感であるとか快楽であるかとの解釈には偽善があります。主イエスの十字架上の苦しみは、文字通りの苦しみの極みであったことから離れてはならないのです。この主イエスの十字架が、わたしたちの身代わりとか代理であることから、わたしたち自身が支えられる根拠であることへと理解の軸足が動かされる時に、意味が出来事として起こされるのです。絶望としての不条理としての主イエスの十字架の苦しみの姿から、最初の弟子たちは、身代わり・代理として、有名なイザヤ書53章から理解し直したのでしょう。53章3節から読んでみます。

【彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか/わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり/命ある者の地から断たれたことを。彼は不法を働かず/その口に偽りもなかったのに/その墓は神に逆らう者と共にされ/富める者と共に葬られた。病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ/彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは/彼の手によって成し遂げられる。彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。】

 この「弱さ」の極みとしての十字架が、「我がこと」であるとの理解へと導かれるようにして信仰は起こされるのです。パウロもそうでした。おそらく彼は外見から分かる病をもち、発作を起こす症状もあったと想像されます。そのパウロをして語らせたのが、「弱さゆえの強さ」という信仰理解でした。

 パウロは、病など深刻な「弱さ」のただ中にこそ働く信仰についてコリントの信徒への手紙二で語っています。二箇書を引用します。1210節、「 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」 134節、「 キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。」。すなわち、「弱さ」の極みである主イエスの十字架が、「我がこと」とされているとき、「インマヌエル」という共にいてくださる神の支えと守りのうちに置かれていることが信じられるのです。

 わたしたちは、聞きました。すなわち、「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」と。これらの主イエスの受けた言葉と暴力の事実が、理不尽な社会の中で生きるわたしたちを支えるのです。わたしたちの寄る辺なさを神の寄る辺なさが支えていることを共に確認しましょう。そして、神の言葉が出来事として今、この場に臨んでいることを信じ、ご一緒に祈りましょう。

 

祈り

わたしたちと共なる神!

主イエスの十字架上での苦しみが、わたしたちの身代わりであり代理であることが知らされました。

このようにして、わたしたちと共にいてくださることを貫かれる主イエスを思います。

主の苦しみが、わたしのため、わたしたちのためであることを心に刻ませてください。

この祈りを、十字架の主イエス・キリストの御名によって祈ります。

                          アーメン。

2021年3月21日 (日)

コリントの信徒への手紙二  「言葉を届けたいから」 講解5

 いつの時代でも、どんな地域にあっても教会は様々な課題や問題に直面しています。同じイエス・キリストの信仰において招かれている人たちの共同体だから順風満帆に前進できるわけではありません。イエス・キリストを信じてさえいれば、言葉を通して思いや心や理論などが伝わるとは限らないのです。各自のもっている言葉の癖のようなものだけではなくて、「何を」「どのように」信じているか、あるいはその根拠を「どこに」定めているかによって、同じ言葉を使っていても「言葉が通じない」ことが多々起こりうるのは誰もが経験するところです。

 コリントの教会との関係におけるパウロの関心事は教会形成にありました。コリントの教会を最初に始めた責任者の一人であったことが大きな理由だと思われます。パウロが去ってからコリントの教会では様々な問題が続出していたことは何度もお話していますが、10章から13章は、信仰的立場や福音理解の異なる宣教者たちの福音理解に対する批判を通して、パウロの信じる方向へと引戻したいという願いで書かれています。

 パウロに敵対している宣教者たちはすでにコリントの教会から去っていたようです。パウロの語りかけが敵対する宣教者に対してではなく、その影響下にある状態に向けられているからです。また、この宣教者たちは「大使徒」と呼ばれて、パウロは使徒として偽物であり「不適格者」であるという主張をしていたようです。パウロがエルサレム教会への「対外献金」の運動をしていたことからすると、この敵対する宣教者たちは、直弟子や弟のヤコブなどエルサレム教会の指導者ではなかったと考えられます。エルサレム教会の権威に基づく推薦状をもっていたようで、証拠があるとされたようです。また、「しるしや、不思議な業や、奇跡」など力ある業を行うことができ、説得的な雄弁さがあり、容姿も整っていて健康そのものであり、「被扶養権」という教会に衣食住を請求する権利を行使していたことなどが考えられます。つまり、一言でいえば、「強さ」に象徴される、当時のコリントのようなギリシャ・ローマの文化圏での「期待される人間像」に合致した宣教者であったのでしょう。パウロは、彼らとは逆の生き方をしていました。「弱さ」のままである恵みに生かされていく方向性だったのです。そのようなパウロを、敵対する宣教者たちは、パウロは使徒としての資格が疑わしいとしていたのです。そこで、彼らの主張を受け入れているコリントの教会に向かって何とか理解してもらいたいとの願いを勧告という形で、若干の強気な言葉を連ねているのが今日の聖書です。1210節の 「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」とあるように、弱さに働く主イエス・キリストによる教会形成こそを求めるべきだとの主張があるのです。

 パウロは、107節で次のように語ります。「あなたがたは、うわべのことだけ見ています。自分がキリストのものだと信じきっている人がいれば、その人は、自分と同じくわたしたちもキリストのものであることを、もう一度考えてみるがよい。」と。これは、かの「大使徒」という宣教者たちに影響され、コリントの教会のパウロを見る現実は歪んでいるので、キチンと冷静に判断するように促すのです。パウロの目的意識は104節以下で語られています。「 わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。」とあるとおりです。パウロは、教会を破壊するのではなく、建て上げていくことでキリストに従うことへと導きたいのです。

 パウロは、この方向の道に立ち返らせることでコリントの教会を整えていきたいのです。その根拠が101節です。「さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。」とあるとおりです。10節の「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」を先取りしています。パウロ自身は事実コリントの教会にこのように見られ、また思われているのだろうけれども、まず「キリストの優しさと心の広さとをもって」いることが大前提だと言うのです。パウロ自身の弱さから強さへの展開の根拠こそが、信仰の根拠としてのイエス・キリストの「優しさと心の広さ」なのであり、ここから支えられているとの確信が前提として示されるのです。

 ここでの「優しさと心の広さ」に近い意味合いを主イエス自身の言葉から引用してみます。まず、山上の説教にあるマタイによる福音書55節の「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。」との宣言であり、この宣言を自らのこととして述べた、マタイによる福音書の1125節以下です。「11:25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。11:26 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。11:27 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。11:29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。11:30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 パウロの立ち位置は、この主イエス・キリストの「柔和で謙遜」「優しさと心の広さ」です。「柔和」と「優しさ」とは、元の言葉では同じ意味です。わたしは、それを他者に対して仕えていく勇気であり、平和を求めていく姿勢だと理解します。主イエスの生前の生涯は、「柔和で謙遜」「優しさと心の広さ」を貫かれました。それゆえに、より弱い立場の人々と結ばれ、いのちの交流を求め、他者を立ち上がらせ、生き直しを促し、共に喜び共に泣く生き方を選び取りました。同時に、ローマの権力や神殿の権力などに対して抗うことも為されたのです。「柔和で謙遜」「優しさと心の広さ」とは、このような積極的なこの世に対する関わりに生きることです。このあり方から照らされた仕方での教会形成の方向付けを行いたいというパウロの主張が今日の聖書にあるのです。そこでまず、教会という共同体にあって言葉を届けていくことを試みているのです。

 コリントの信徒への手紙一は、まとまったものだとされますが、二の方はいくつもの手紙がつながれてまとめられているとされます。パウロがこの手紙の10章から13章を書いた時点では、コリントの教会にとって彼の言葉には力が足りなかったと判断できます。手紙の効果が及ばなかったのかもしれません。コリントの教会にとってパウロの言葉は、かの「大使徒」という宣教者たちの言葉の確からしさには到底及ばなかったからです。コリントの教会の中では「メディア力」に欠けていたということです。「メディア力」とは、文章表現やコミュニケーションについての著書を数多く書いている、山田ズーニーが「何を言うかより、だれが言うか?」が問題なのだと指摘していますが、自分の発言が届くとどく、影響力や信頼性のことです。コミュニケーションのためには「誰が」話したのかによって、信頼度や説得性・納得性が変わる可能性があるのです。これは単なる技術ではなく、どのように信頼を得ていくかが問題なのです。信頼とは相手と自分の間に橋を架けるようなものであり、その力を「メディア力」と彼女は呼ぶのです。コリントの教会にとって、パウロの言葉は、圧倒的に「メディア力」が落ちています。しかし、言葉を届けたいという志を断念することはありませんでした。そこで、言葉を届けるための「メディア力」の回復を求めつつ、その力が主イエス・キリストの「柔和で謙遜」「優しさと心の広さ」にこそあるとの信頼において、手紙を綴るのです。端から見れば、「悪あがき」にしか思われないかもしれません。しかし、事柄の上っ面ではなく、中身を整えていくために言葉を届けていくためには同じ土俵に立ちながらの対話は必要なことです。

 このような意味での議論は時として厳しいものかもしれません。 コリントの信徒への手紙一 1119節には、「 あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません。」とあります。教会は、主イエス・キリストに招かれ、信じ従う者として呼び集められた群れです。しかし、ここにいるのは一人ひとりの神からすれば限界ある人間なのです。自由意思が委ねられているがゆえにエゴイズムに捉えられているのです。ですから、みんながみんな、いつでも穏やかでニコニコしている集まりだとは限りません。意見の違いの調整が非常に難しいこともあります。しかし、それでも言葉を届けたいという願いは主イエスにあって捨て去ってはならないのです。「メディア力」は信じ従う者に備えられていくに違いないと信じることができるからです。そのようにして、主イエスにあるがゆえにパウロは言葉を届け続けました。主イエスの思いを受けて、その「柔和で謙遜」「優しさと心の広さ」における交わりに生きるためでした。

 このような意味において、わたしたちも教会という交わり、また教会を越えた関係性においても主イエスの思いを受けたパウロに倣って、言葉を届け合う業に向かって歩んでいく決意を新たにしたいと思います。教会を建て上げていく呼びかけがパウロの今日の聖書によってなされているからです。きっと、この教会の交わりは豊かなものになっていくに違いないと信じるからです。

 このあり方は、故横田勲牧師の言葉を借りれば「言葉を通じさせる運動」と呼ぶことができると思います。わたしたちが忘れてはならないのは、「言葉を通じさせる運動」の努力なしに教会の内にも外にも新しい可能性を開いていくことはできないだろうということです。現代の課題として言葉を届けたいという思いが育てられていくことを願います。この言葉の質とは、人を動かし、生かし、育てていくものです。何事かが起こる言葉です。神が「光あれ」と語ると光が生じたように、です。この言葉の方向は主イエス自身が人となり、またその活動において、さらには十字架の道行きにおいて成し遂げられたものです。主イエスが「立ち上がりなさい」と言われたら、立ち上がることができるのです。主イエスの様々な語りかけは「事」を起こすのです。この事実に揺り動かされているパウロは、信じているがゆえにコリントの教会を建て上げていくために語り続けているのです。このことを覚え、教会の内外に向かって揺り動かす神の言葉に信頼しつつ、ご一緒に祈りましょう。主イエスの言葉によって、その思いが成りますようにとの祈りをもって、です。教会は言葉の届け合いによって育てられていくものだからです。

 

祈り

いのちの源である、わたしたちの神!

言葉を届け合う関係を整える生き方へと招かれていることを信じます。

主イエスの道に共々歩ませてください。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってささげます。

アーメン。

 

2021年3月14日 (日)

コリントの信徒への手紙二 9章1~15節 「感謝のささげもの」講解4

 これまでお話したことの繰り返しになりますが、8章の部分をおさらいしておくと、コリントの信徒への手紙二の8章と9章は、コリントの教会に向かってエルサレム教会への献金の運動を盛り上げていきたいという、パウロの願いが込められています。この手紙が書かれていた時点では、この運動は停滞していてパウロも焦りなどを感じていたようです。コリントの教会の立ち上げにはパウロは深くかかわっていたのですが、自らが去ってから教会の状態の変化の中で関係がこじれており、また教会自体も混乱していたようです。パウロに対する疑問や非難が出てきている中で自分が直接コリントの教会に行くよりは、穏便に事を運ぶことができるだろうとの期待もあったのでしょう。同労者であるテトスら3人を遣わしました。

 9章の書き始めは、コリントの教会に対してパウロの気遣いを読み取ることもできます。どうしてエルサレム教会に献金しないのかと問い詰めるのではなくて、また「献金」あるいは「募金」を表わす言葉を避けているようでもあります。「奉仕」や「恵み」などの言葉を使って、直接表現を避けているのです。

 コリントの教会はアカイヤ地方の有力な教会でしたから、おそらくここで言っている「アカイア州」とはコリントを指しています。コリントの教会は、マケドニア地方の教会よりも豊かであるのにコリントの教会はエルサレム教会への「対外献金」の運動に対して積極的でではない、それは何故なのかをパウロは考えていたに違いありません。

 コリントの信徒への手紙一126節には「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。」とあります。設立当初のコリントの教会のメンバーの多くは比較的社会的地位の低い人たちであったことが分かります。富から離れている人が多かったのだと考えられます。しかし、教会の成長過程の中で、成り上がる人が出てきたことや地位や権力や富にあふれた人たちが新しいメンバーとして新しく加わったのでしょう。48節には「あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから。」という言葉があります。富のゆえに思いあがってしまっていると指摘するのです。また、主の食卓にも富んだ側と貧しい側との関係で、富の側の人間の歪について語っている箇書があります。コリントの信徒への手紙一の11章にある、「主の晩餐」の問題です。いわゆる「ふさわしさ」の問題です。この文脈を聖餐式の解釈として洗礼を受けていることが資格なのであるとの証明の言葉だと考えられがちですが、問題の中心はそうではありません。より富んだ人たちが先に来て飲み食いしてしまうので、遅れてやってきた比較的貧しい人たちの分がなくなってしまっている現実。富んだ人たちの、弱い人たちを顧みることのできない態度。これを「ふさわしくない」とパウロは指摘しつつ、妥協策として「食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。」と指示を与えているのです。

 富の側にいる人たちが、金銭に対する奴隷状態にあって富を独占し、溜め込むことが目的化してしまっており、それゆえ「対外献金」を惜しみ、出し渋るようになってしまったのではないでしょうか。さらに、これがただお金自体のことに留まらず、信仰においても分かち合う発想に見向きもしなくなっていることの問題性をもパウロは見据えていると言えるのです。

 古代においても現代においても、お金の問題は決して小さいものではありません。しかし、問題の中心は富、とりわけ自分のお金を信仰的にどのように位置づけるかということです。パウロが去ってからのコリントの教会は、教会の中で派閥争いが起き、教会としてのまとまりがなくなり、さらに「わたし」の信仰が一番大事みたいな我儘なあり方へと変質してきていることが予想されます。信仰という事柄において「他者」が無意味化されてしまっているのです。人と人とのつながり、教会員同士や教会同士の関係が、どうでもいいものとされ無関心になるのです。自分さえ信仰的に、心満たされていれば問題なしとなってしまうのです。「自己中心的な信仰」とでも呼べばいいのでしょうか。「わたし」が一番大事で「わたしたち」は問題外になってしまうのです。確かに、信仰においては「わたし」という個人の決断は重要です。しかし、「わたしたち」と「わたし」とは信仰において深いかかわりや緊張関係があり、この間において豊かにされるはずなのです。

 この個人主義的な信仰から「対外献金」に代表される「他者」に対する「ささげる」姿勢を導き出すことはできません。そこで、そのような信仰のあり方自体をパウロは問題視しているのです。

 まず「対外献金」を含む「献金」一般における「ささげること」の信仰的な位置付けを行う必要があります。パウロの中では当然のことなので文章には表わされていないと思います。

 「対外献金」を含む「ささげる」ということは、応答責任性を指します。まず、神からの働きかけから理解しなければならないのです。「献金」一般から考えてみましょう。「献金」をキリスト教会の信仰理解のどこに位置付けるかから始めてみたいと思います。

 今日の聖書を読みながら神学校での礼拝学の授業でのシーンを思い出しました。礼拝についてどのように考えているのかという文脈でした。礼拝学を学ぶにあたり、学生が礼拝をどのように考えているのかということで、まず礼拝の中心あるいはピークとは何だと考えるのかを順番に問われました。わたしは「聖書」だと答えたように思いますが、ほとんどの人は「説教」だと答えました。そこで一人が「献金」だと答えたのです。彼が当時通っていた教会の牧師の意見を出しただけだったと思います。その時、わたしは「何を言っているんだ」と唖然とするような感じで驚いたのです。しかし、今改めて考えてみるとそれほど的外れではないようにも思えてきます。イエス・キリストの神との応答関係を儀式として整えた形式である礼拝において、応えていく人間の側からの態度表明は、自らのあり方全てを「ささげる」ことに他ならないと考えるからです。神は、いついかなる時でも「わたし」「わたしたち」と共にあろうと語りつつ歩みより続ける方であることに根拠があります。いわば、インマヌエルを貫き通す神の決意が天地創造以来終わることがなく、その決意が人となったイエスであり、十字架に磔られ、今も働くともなる神が事実としてあるということです。このイエス・キリストゆえに「わたし」「わたしたち」自体の存在があるがまま赦されていること。イエス・キリストによって一切の条件なしに赦されてしまっている事実の前でなしうることは、感謝であり、告白であり、賛美です。これらの応答の具体として「ささげる」ということです。できる限りのこと(もの)を「ささげる」しか生きる道がないのです。もちろん、自分の生活に応じて自由に行えばいいのです。義務ではないからです。

 パウロは、「献金」あるいは「募金」を表わす言葉を避け、「奉仕」や「恵み」「交わり」などの言葉を使って、直接表現を避けていると先にお話ししましたが、実はこれらの遠慮がちな言葉が積極的な意味へと転じていくのではないでしょうか。赦されて存在しており、招かれているがゆえに「ささげる」ことは「奉仕」や「恵み」「交わり」として人と人との関係も教会員同士の関係も教会と教会との関係、教会と社会との関係、これらの広がりゆく事柄に向かって「ささげる」ことによって、より広く豊かなあり方に向かっていくことができるのだということです。

 聖書の証言するイエス・キリストの神に対して信じ従う決断のもとには、まず感謝がなければなりません。感謝のないところには「ささげる」応答が起こるはずもありません。豊かないのちを惜しげもなく与え続けている十字架の主イエスが聖書によって証言されており、わたしたちが「ささげる」以前に、わたしたちに向かって「ささげる」ことを貫かれた「贈り物」としての主イエスが、すでにそこにいるのです。主イエスの「ささげる」行為から、わたしたちの「ささげる」道が備えられているのです。

 この方に対する応答の態度を913節からによって確認したいと思います。

9:13 この奉仕の業が実際に行われた結果として、彼らは、あなたがたがキリストの福音を従順に公言していること、また、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえます。9:14 更に、彼らはあなたがたに与えられた神のこの上なくすばらしい恵みを見て、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのです。9:15 言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。

 

祈り

いのちの源である、わたしたちの神!

「わたし」「わたしたち」と共にいてくださることを貫き通された神がイエス・キリストであることを信じ感謝します。

「ささげる」ことを貫かれた主イエスに応答するようにして「ささげる」者として、恵みの歩ませてください。

交わりと奉仕に生きることができますように。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってささげます。

アーメン。

 

2021年3月 7日 (日)

コリントの信徒への手紙二 8章16~24節 「教会をつなぐ人々」 講解3

 先週は「世界祈祷日」を覚えての礼拝でしたので指定の聖書の個書でしたが、コリントの信徒への手紙二の講解を8章から始めています。この8章と9章は、異邦人教会からエルサレム教会への「対外献金」について描かれています。先々週お話したように、この運動についてパウロの中での積極性には幅があります。停滞している献金運動をコリントにおいて盛り上げていきたい彼の気持ちが溢れているのです。

 コリントの教会はパウロが熱心に立ち上げたのですが、彼がコリントを去ってから様々な問題が彼への不信感も含めながら次から次へと起こります。それだけの事情ではなかったと思いますが、この献金運動のために自らが赴くと事情が混乱するかもしれないという牧会的配慮もあってテトスら3人を遣わしたというのです。これはパウロの気持ちももちろん働いたのでしょうが、この頃の有力な同労者であったテトスが名乗りを上げて、その他に2人が加わったのです。ことにお金を直接扱うわけですからパウロを全面的に信用しているわけではないコリントの教会に対してテトスの方が都合良かったのでしょう。コリントの教会に行って話をするだけならテトス一人で充分だったかもしれませんが、他に二人がいたのは、献金を現金で運ぶための護送団という意味もあったでしょうし、パウロに近いテトスなので使い込みのような不正が行われるとの疑いの気持ちを和らげるための効果をも期待していたのかもしれません。パウロは、この三人に対して信用できる人たちであると、それぞれを紹介しています。ただパウロ一人の願いなのではなく、異邦人教会の諸教会のつながりの力によってエルサレム教会とつながりたい、連帯したいということだったのでしょう。

 異邦人教会とエルサレム教会では、同じ主イエス・キリストを信じてはいるのですが、やはり違いがあります。ペトロたちがエルサレム教会を中心としたユダヤ人に、パウロたちが異邦人に伝道をするという役割分担のような区別だけではなくて、信仰理解にも大きな違いがあったようです。エルサレム教会は律法を守りながらキリストを宣べ伝えていたのですが、パウロたちはそうではなりませんでした。厳密に言うと、異邦人教会も実は一枚岩ではありませんでした。パウロの伝道活動を見てみると、時期によって一緒に活動する仲間が変わってきています。これについても様々な事情があるのですが、今日は詳しくは述べません。今日の箇書の時期にはおもにテトスと一緒の方向性をもっていたようです。

 エルサレム教会と異邦人教会の間には、役割分担だけではなくて、もっと深い意味において信仰理解にさえ違いがあることをパウロは自覚していたはずです。そして、パウロにとってエルサレム教会が正当な最初の教会であり、自分たちが依り頼むべきだとは考えてはいなかったはずです。違いがある。しかも、その違いは決して小さいものではないことが分かっていることを踏まえて、あえてつながっていくこと、連帯していくことを求めていたということです。このための証しとして「対外献金」の運動があったのです。この、つながりたい、連帯したいという発想は、信じている仕方や信仰のありようや神学とも言うべき、ものの考え方自体を越えていきたいという願いが、主イエスにあるという確信によって支えられていたのだと思います。

 この、つながり・連帯をパウロはエルサレム教会に対してだけではなくて、他の教会に対しても「対外献金」という形を取らなくても手紙という仕方で試み続けたことを覚えておきたいのです。確実にパウロが書いたとされるのは、テサロニケの信徒への手紙一、コリントの信徒への手紙一と二、ガラテヤの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、フィレモンへの手紙、ローマの信徒への手紙、これら7つです。ローマの信徒への手紙はパウロの信仰がまとめられているものですから別にして、他の手紙は具体的な問題に対する解決策を方向立てて示しているものです。フィレモンへの手紙は個人宛ですが、他はすべて教会宛てとなっています。コリントの信徒への手紙一と二も、諸問題に対して書かれています。コリントの信徒への手紙一と二によって、パウロとコリントの教会の関係が改善され回復した証拠はありません。わたしはパウロの願う方向にはならなかったのだろうと考えています。しかし、大切なのは、同じ主イエスにあるのだから、つながりたい・連帯したいという心だと思うのです。今日の箇所では、そのために間に立つ人たちが必要とされており、パウロの側の異邦人教会とエルサレム教会を結ぶために、コリントの教会を整えていくことが、主イエスの願う方向なのだとの信仰的な理解から来ていると言えるのです。

 このパウロの信仰的なあり方を、今わたしたちが抱える問題として捉えてみたいと思います。日本基督教団は、ご承知の通り一枚岩ではありません。それまでここに活動していた諸教派による1941年の「合同」は、そもそも戦争遂行のためになされたものですし、教団の形成の仕方や組織の整え方に無理があったことは前提ではあります。これが激しく違いを見せるのが、1967年のイースターに鈴木正久議長名で出された「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」、いわゆる「戦責告白」を巡る、賛成か反対かという態度の違いです。賛成の側も反対の側も、もちろんそれぞれが明確な点で一致しているわけではありません。この日本基督教団という教会が本当に平和の主イエスにより相応しい姿へと祈りと議論によって方向づけられるべきでしたが、不十分な点があります。この「戦責告白」には、実は沖縄からの発想が決定的に欠如しているとの指摘があり、日本基督教団と沖縄キリスト教団が「合同」について議論が激しくなされるようになってきたのです。つまり、「合同」とは大が小を飲み込むようになされたのであり、対等ではなかったのではないかというものです。そのために「合同のとらえなおし」が課題となり、議論が重ねられてきたのです。

 いわゆる「戦責告白」に対して、わたしは全面的に賛成ではありませんが、積極体に評価すべきだという立場です。沖縄キリスト教団と日本基督教団が本当に「合同」したのであれば、日本基督教団の「沿革」「教憲教規」「信仰告白」「名称」などを改めていくことが必要とされるという理解に立ちます。第33回日本基督教団総会(2002年10月)において、「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえなおし」に関連する諸議案が「審議未了廃案」となりました。そのことを受けて、沖縄教区は「教団と距離を置く」と決断しました。今も引き続き、そのスタンスです。つながりと連帯ではなく、「切り捨て」を当時の教団議長は行ったのです。

 しかし、心ある人々により、つながり・連帯は続けられています。神奈川教区も含め、いくつもの教区や支区などから「公的」ではなくても、人のつながりによって沖縄教区を孤立させない働きがなされています。客観的に見れば、大きな流れではないのかもしれません。教会は、主イエスの守りにある人と人との関係によって成り立っているのですから、いわゆる「本土」の教会と沖縄の教会の間にも主イエスが働きかけ続けていてくださるはずなのです。この働きを担う人々が次から次へと立てられていくことを、切に希望します。このような「使者」には特別な資格や能力が求められているのではありません。わたし自身、行動を起こしていないので、自戒を込めて言いますが、自らの非を認め謝罪から始めていくように教団当局を促し続けていく志があれば、より良き方向へと導かれることを信じたいのです。教団当局が沖縄教区に対して、まず過ちを認め謝罪するところからしか始まらないのです。でなければ、水平な関係は作り出していくことができないのです。そして、主イエスの遣わす「使者」としての人が教会を成り立たせ、結んでいくのです。この出来事と今日の聖書の状況と同じだと、わたしは言いたいのです。

 この、教会のつながり、連帯のあり方をパウロはコリントの信徒への手紙一 12章で「身体の部分」に喩えて述べています。それぞれが大切なのであって、必要でない部分などないのだというのです。そして、26節から27節で「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」と方向を定めるのです。

 このつながり・連帯に生きる時、わたしたちは、「切り捨て」ではなく、まことの教会形成に向かいつつあるのです。このための一人となり、祈る人となる道へと招かれているのです。和解の業を為した主イエスに従いつつ、すべての部分が共に喜ぶことを求め、ご一緒に祈りましょう。

 

祈り

いのちの源である、わたしたちの神!

主イエス・キリストの十字架への道ゆきを思う季節に、わたしたち一人ひとりが、そしてこの群れが、つながり・連帯に生かされていることを信じ、感謝します。

すべての部分が喜びあえるような教会のつながり・連帯が出来事となりますように。

この祈りを主イエス・キリストの御名によってささげます。アーメン。

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