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2020年12月20日 (日)

ルカによる福音書 2章1~7節 「飼い葉桶の情景」 

 幼な子の主イエスの生まれてきた姿を思うと、何だか悲しくて寂しくて惨めな感じがします。王などの偉い人の幼な子と全然違います。でも、この姿こそが、神が本当の人間として生まれた姿なのだと忘れないようにと聖書は教えてくれているのです。

 幼な子の主イエスはマリアとヨセフが宿もなく助けもなく、困り果てているところに生まれてきました。清潔とは言い難い動物の餌箱に寝かされて。このことは、これから育っていく主イエスが、どのような方なのかを暗示しています。

主イエスは、わたしたちが知っているようにやがておとなになり、悲しくて寂しくて惨めな思いをし、いじめられている人や差別され、弱くされている人たちと心の通じ合う友だちになっていくのです。つらい思いをしてきた人は、同じような人たちと、体の真ん中から分かり合いたいという心が与えられます。主イエスは、寂しくて悲しくて惨めなところに生まれてきたからこそ、ひとりぼっちの人が一人でもいてはいけないことを知っていたのです。今生きていることを誰かと一緒に喜び合うことが何よりも大切なのだということです。人が生きるためには、誰かと喜びによってつながっているという実感が大切です。誰かに見守られている感覚でもあります。

 この、主イエスの姿から、誰かに心を寄せていくことを忘れてはいけないことがクリスマスの意味だと教えられてくるのです。クリスマスは、餌箱に寝かされている主イエスの姿を思うことで、やがておとなになった主イエスが寄り添う人になったこと、元気づける人になったこと、いのちを大切にする人になったこと、人と人とはお互いのいのちを喜び合ってこそ生きるものだと指し示す物語です。そのことを忘れないよう、わたしたちはクリスマスを祝うのです。

 クリスマスを短い言葉で言うと、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ316)ということです。

 主イエスが生まれるずっと前に書かれた「それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ7:14)の言葉にある「男の子」が主イエスのことだと教会は信じています。「インマヌエル」という言葉は、「神は我々と共におられる」ということです。

 主イエスとしてがわたしたちと一緒にいてくださることを心に刻むこと、それがクリスマスです。とりわけ寂しい思いをしている人のところに、あなたと一緒にいるのだと生まれてくださいます。その人の生きている場所に来てくださるのです。そのことを決して忘れてはならない、嬉しいことなのだよと心に刻むことなのです。主イエスが、いつだってわたしたちと一緒にいてくださって助けてくださり祝福してくださる。このことから力をいただいて、わたしたち一人ひとりも誰かの友だちになっていくように、お互いを喜び合っていくようにと教えているのです。

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