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2020年5月

2020年5月31日 (日)

コリントの信徒への手紙一 9章19~27節 「依然として十字架に在るイエス」井谷 淳  伝道師

 本日の聖書箇所はパウロ伝道の中での「信仰の多様性」について言及しています。当概箇所の9章の冒頭部分に「使徒の権利」という「小見出し」が付加されていますが、「キリスト・イエスに繋がれた人間」が信仰生活の中で「キリストの存在」をどのように信仰者各々の「精神世界の表出」として反映させてゆくかが、様々の具体的事例を基に含め1節から18節まで切々と叙述されています。この第一コリント書簡はパウロがエフェソ滞在の頃執筆されています。マケドニア経由でコリントを来訪しようと計画していた最中コリント教会で様々な教会員同士の様々な内紛と確執が存在すると聞き、内紛の「解決」と「和解」を目的として執筆したと伝えられています。故にパウロが理想とする「教会論」が描かれていますが、同時にパウロ自身の「信仰観」も鮮明に描写されています。

 「信仰者」である私達は毎週教会に通い、礼拝をしています。スタンダードなプロテスタント教理的には教会は「キリストの体」とされています。当概箇所と同様の第一コリント12章27節において「あなた方はキリストの体であり、また一人、一人はその部分です。」と語られています。「教会」のギリシア語原典での言葉は「エクレシア」であります。これは「神によって召しだされた者達」或いは「神の召しによって呼び集められた会衆」という意味であります。換言すれば神によってある目的をもって集められた人間、「使命」或いは「召命」という形で集められた「人間の集合体」という意でもあります。

 各々教会にいらっしゃる方々はそれぞれ「個性」があり、それぞれの方が異なる「生活背景」、「生活歴」をお持ちであります。また同じ「イエスの福音」を信ずる方々の間でも「どのようにイエスを信じているのか」、また「受洗に至った経緯」も「千差万別」であると存じます。このような「多様な人間像」の集まりを「キリスト・イエス」の「福音」を「礎」とし世に「平和」を現出させてゆくのが「教会~エクレシア」に与えられた使命であります。またエフェソ信徒への手紙4章25節において「だから、偽りを捨て、それぞれの隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは互いに体の一部なのです。」と語られています。

 何かの議題、議案についてまた「説教者」の語る「使信の内容」ついても賛成であれ反対であれお互いが「本音で話し合う事の出来る空間」が教会の在るべき姿であり、「本音で語ろう」とする「姿勢」の中にこの箇所で述べられている「真実を語る」姿があるのではないでしょうか。

 本日のテキストの中でパウロは様々な信奉者の人達の特性を叙述しています。「ユダヤ人に対してはユダヤ人のように」(20節)「律法を持たない人には律法を持たないように」(21節)「弱い人に対しては弱い人のようになりました」(22節)等、パウロは人間の多様性について語っています。「強権的な意識」の基で作られた「平和」は人間の「理念」に基づいた「ファシズム」であり「神の義」の体現である「平和」とは程遠いものであります。多種多様な意見があり中々「合意」或いは「総意」に至らなかったとしても辛抱強く「対話」を重ね、自分と「異なる隣人」の方の意見に耳を傾けてゆき、例え「理想的な合意」に至る事が出来なくとも「本音を語る~各々の真実を語る」という作業を経なければ「神の望まれる平和」の姿は実現し得ず、「エクレシア~神に召しだされた者達」である「教会の姿」は実現しえないとパウロは語っています。

 「相互理解に基づいた対話」をしてゆく「場所」と「異なる隣人同士が裁き合う」「場所」は全く意味が異なります。「相互理解」とは無論の事、容易ではありません。自分と異なる隣人の方の抱えている「痛み」や「重荷」を察する事も困難を極める状況もありましょう。その結果として「対話」が頓挫し「自己不全」に陥る場合も現出するでしょう。しかしそのような「不完全である私達」の「ありのままの姿」を神とイエスは御覧になり「霊的臨在」として常に傍らに居るのが「エクレシア~教会」という場所であるのです。「不完全なまま」でもお互いが「必要不可欠な存在」であるという「気付き」を「神及びキリスト・イエス」は「エクレシア」の空間の中で私達に与え続けるのであります。

 パウロ書簡には「霊~プネウマ」、「肉~サルクス」、「身体~ソーマ」という人間存在にまつわる3つの概念用語が登場いたします。この「肉~サルクス」は動物の肉体をも現し「理性的で霊性に満ちた人間」の「身体」の理想的な姿とは程遠い「獣性」をも表してしまうのです。創世記3章のアダムとエバの「エデンでの堕罪」により「神の怒り」から崇高なる「霊~プネウマ」(性善説)の「存在」から他の「動物」と変わらない己の欲望のままに行動する「獣性」を帯びた「肉~サルクス」(性悪説)に落とされた「人間存在」を救済するために、イエスが十字架に上がり「自ら」の「肉体の犠牲」をもってして神の怒りを鎮め、神と人間存在との「和解」を計ったのが「イエスの十字架の贖い」の論理であります。この「イエスの十字架の贖い」によって「救済された」と自覚する人間、最早「肉~サルクス」ではなくギリシャ語で「ソーマ」と訳される「身体」へと転換します。私達キリスト者の「キリストを義」と認め「救済された肉体」は「霊性」に満ちた「身体」に転換されてきたわけです。故に私達の教会内の「内紛や確執」は、私達がこの「獣性」を帯びた「肉の領域」から抜け出ておらず、本来あるべきキリストによって「義化」「聖化」された「身体」から離れてしまっている「獣的行為」に「陥ってしまっている状況」を表しています。

 信仰的には不完全な私達であったとしてもそこには必ず「神の嘆き」があり「神の(嘆き)の象徴としての」「十字架のイエス」が存在するのです。そしてこの「嘆きの象徴」としての「十字架のイエス」を顧みる時、私達は己の「愚かさ」と「罪」に立ち帰させられるのであります。そして「肉~サルクス」に立ち戻ってしまった「私達自身の信仰態度」を「相対的に検証」してゆく機会を与えていくのが「エクレシア」という「キリストの身体」としての「私達の集合体」の空間であります。そしてその空間には「十字架に登ったまま」の私達の「肉」の「犠牲」になった「ナザレのイエスの姿」が「依然として存在する」のであります。使徒信条にあるように「身体の蘇り」は三日後の復活の中で起こっても「私達の罪の象徴」である「肉」の「在り様」は依然として十字架の上に晒されたままであるのです。私達に「己の罪の在り方」を検証させ信仰態度を返り見「霊性に満ちた身体」すなわち「キリストの身体」に立ち返らせる為であります。

 本日の説教箇所に「わたしは誰に対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。」(19節)と在ります。 「人間存在の在り方」は多種多様であります。同時に人間の「肉の罪の在り方」も多種多様であります。つまり人間の数だけ「多様な罪」の形があり、その「多様な罪」の「在り方」の数だけ「多様な救われ方」があるのであります。「自分自身の肉」のもたらす「罪からの解放」の形も「人間の数だけ」存在するのであります。「キリスト・イエス」は人間の「多様な罪の数」に伴い「犠牲となった姿」のままで十字架の上に「依然として存在している」のです。その意においてこの箇所においてパウロの述べるような「全ての人の奴隷」となった「イエス」の姿は、人間の数だけ存在するそれぞれの「弱さ」と[罪]という十字架を背負い「私達の眼前」に存在しています。「あなた方は知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。」(24節)と語られていますが、その人自身が「蘇りの身体」である「その人だけのゴール」は「人の数」と同じく存在するのであります。「賞」である「身体」の在り方はその人でしか分かりませんし、その人にしか「辿り着けないゴール」であります。

 

 最終節の27節においてパウロは「むしろ、自分の体を打ち叩いて服従させます。それは他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。」と語っています。文字通りパウロ自身の「罪責」の「清算の決意表明」であります。それはパウロ自身がかつて熾烈なキリスト者の迫害者であり、の当時自分自身の根底にあった「罪」は、「ファリサイ主義筆頭学者」としての「自己承認欲求に基づく虚栄心」であった事実をダマスコの「回心後の自己検証」の末に良く熟知していたと言えましょう。「多くのキリスト者の命」を「自分の自己実現」の為に「犠牲」にしてきたパウロ自身の「肉の罪」の「本質」に向き直ざるをえなかったのであります。そして「犠牲」にしてきた人達の一人一人の姿に「キリスト・イエスの嘆き」を感じたのであります。パウロは「ダマスコの回心」の後数年間の歴史上、「謎の信仰的空白期間」が存在しています。恐らくこの期間パウロは「自己の罪」の「相対的検証」という「内省的期間」をすごしていたのでしょう。その結果としてパウロは「自分の向かうべきゴール」を明確に定めていました。それは多くの人を「犠牲」にしてきたという己の「肉の罪」と「愚かさ」に対する「義噴の念」と「悲しみ」を「己の十字架」として背負い続け、「キリストにより再生された自分の身体」が「罪の償い」として多くの人間に仕えてきたという「喜び」という「ゴール」に転換させる為の「長い旅」の始まりであったのです。そしてパウロの目指した「賞~ゴール」の「片鱗」が「教会に集う私達そのもの」~「福音に満ちたエクレシア」という形で現在の「危機的状況の社会」に届けられていると切に願わざるをえません。

2020年5月24日 (日)

マルコによる福音書 4章20節 「たとえ話がリアルな出来事へと」

 33節には「イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。」とあるので、折に触れて庶民の生活感に接近することで、今生かされてあるいのちの現実を無条件・全面的に肯定しただろうと思われます。ただし、マルコによる福音書の4章1~34節の、たとえのまとまりの中では、主イエスの語りと弟子たちの理解の現実との間にズレがあり、福音書記者は苦労しながら調整しているように読めてくるのです。

 1~2節では、まず場面設定がなされています。3~9節、21~25節、26~29節、30~32節、これらは別々の伝承だったものをマルコが並べたものであろうという説に、わたしは賛同します。実際の歴史上の主イエスに近いところの発言は、彼の基本的な中心にある楽観主義に基づいてなされたのでしょう。特に3~9節について概略を見ておきたいと思います。種を植えるのではなくて、文字通り振り撒いて、放ったらかしにしておいても勝手に育って実を結ぶのだというのです。ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった、別の種は石だらけで土の少ないところに落ち、すぐ芽を出したが日が昇ると焼けて根がないために枯れてしまった、別の種は茨の中に落ちた、茨が伸びて覆い塞いだので実を結ばなかった、とあります。この物語は蒔かれた種が実を結ぶのは困難であるという印象が強いかもしれません。しかし、それは13~20節の解説から読み込んでしまうからです。そうではなくて、道端に落ちた種、石だらけで岩盤の上の薄地に落ちた種、茨の中に落ちてしまった種、これらは単数形で書かれていますから、種蒔く人が蒔いたすべての種の内で結局実らなかったのは3粒だけなのです。3粒だけが例外としてダメになったということで、放っておいてもほとんどの種はそれぞれが1粒のままで、すでに30,60,100の豊かな実りの約束があるし、その約束のもとで現実が祝福されてしまっているという、主イエスの楽観性というものが表れさているのです。わたしの感覚で訳せば「1すなわち30、1すなわち60、1すなわち100」です。

 しかし、主イエスの12人の弟子たちや、もう少し広い範囲の人たち、さらには時間を経て福音書をまとめたマルコ福音書の教会の現実に至る時間軸の中で、主イエスの楽観性に対する無理解であるとか、ついていけない感覚をもつ中で、何かしらの合理化を行う必要に駆られたのが、34節の「たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。」であり、10~12節の「たとえの機能論」、解釈につながっていくのではないかと考えます。

 しかし実際1~34節を通して読む時、それではいったい主イエスのたとえは分からせるためなのか分からなくさせるものなのかが混乱してくるのです。この点を整理する必要があります。おそらく3~9節の種蒔きのたとえそのものは伝承として知られてはいたのでしょうが、マルコの教会にとって自分たちの生活に共鳴しない。だから、何らかの合理化が必要とされたのでしょう。それが13~20節の解釈として表明されているのでしょう。その現実が14~19節で述べられるのです。【種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。】と。いわば、伝道の停滞・教勢低下など、教会の働きである種蒔きとしての「伝道」の成果が起こらず、むしろ悪化の一途を辿っているとしか思われない現実があるということなのでしょう。

 実際には、13章を読むともっと激しい現実に直面していたと考えられます。【あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。】(13:9)や【兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。】(13:12-13a)状況が身近であるということ。そのような状況にあるからこそ、語れば語るほど分かってもらえないけれども、分ってもらえる時がくるのではないかという期待も同時に持っていたのではないでしょうか。すなわち、【イエスがひとりになられたとき、十二人と一緒にイエスの周りにいた人たちとがたとえについて尋ねた。そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。それは、/『彼らが見るには見るが、認めず、/聞くには聞くが、理解できず、/こうして、立ち帰って赦されることがない』/ようになるためである。」】(4:10-12)。マルコ福音書の教会を巡って「あなたがた」である内側と「外の人々」という外側を区別しているのですが、マルコ福音書はここにある内と外との関係を実線ないしは壁としてではなくて、むしろ点線や立て付けの悪い隙間風が入ってくるような窓みたいなものとして相対化を願っているようにも読めてきます。

 確かに、マルコ福音書の現実は厳しいはずです。この点を見極めつつも「だからこそ」主イエスにある立脚点を明確にしたいと願っていたのではないかと思うのです。「伝道不振」「教勢低下」「この世からの無関心」など、教会がこの世との軋轢をも含めた危機的な状況を打開したかったのでしょう。豊かな実りを妨げる状況に対して「伝道」という掛け声を大きくしたり、「方策」とか「理論」で解決策を立てることも必要なのかもしれません。しかし、その主張が強化されたり、目的化されてしまうことに、時に教会は堕落することをマルコ福音書の著者は知っていたのではないでしょうか。シンプルな主イエスの言葉である3~9節を解釈するための13~20節の説明の言葉は、いわばマルコ福音書の教会の現状の合理化として読むことができます。しかし、重要なのは単純に主イエスがそうであったように、楽観性を取り戻し、たとえの物語を追体験するところから、マルコ福音書の残念な現実を見極めることが大切ではないでしょうか。キリスト者は、あらゆる現実の厳しさに対処する道があると知らされた人々であり、その集いであると、わたしは信じています。そこで、13~20節で展開されるマルコ福音書の苦闘をマイナスではなくてプラスの意味に読み、解釈することが相応しいのではないかと思うのです。そしてそれは、どのような態度をもって行われていくのかと読みつつ、パウロの伝道のあり方を思い起こしました。

 パウロのアテネでの困難を思います。使徒言行録17章16節以降の記事です。ギリシャ哲学の末裔たちの街で伝道しますが、結果は失敗に終わります。伝道説教は最後までまともに聞かれませんでした。【死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。】(使徒17:32)とあるとおりです。そこでアテネからコリントに行ったと18章にはあります。それこそ這う這うの体でした。コリントではアキラとプリスキラという同労者が与えられ、教会が設立されていきます(このあたりの事情については別の話)。コリントに辿り着いたパウロの状況は、コリントの信徒への手紙一2章1~5節にあります。【兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。

 わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。】、この1節の「わたしも」を「わたしもまた」とすべきだと青野太潮は強く主張します(この箇書に関しては田川建三も同様に訳しています)。すなわち、ここでやっとの思いでアテネからコリントに辿り着いたパウロには、主イエスが同行者として存在したという含みがあるということです。「十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい」という事実に支えられていたというパウロの証しであり、実体験でもあります。

 共にいてくださる主イエスゆえの喜びと感謝に支えられた楽観性をパウロも共鳴として知っていたとしか考えられません。喜びと感謝なしに苦難を乗り越える道があるでしょうか。パウロにはまた次の言葉もあります。【あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。】(Ⅰコリント10:13)。このようにパウロは述べています。主イエスの楽天性に倣うような態度を支えにしつつ苦難に対処するパウロ像が立ち現れてくるのです。

 わたしはマルコ福音書は、パウロに対して批判的でありながら、同時にパウロの神学の継承者であると仮定しています。このような視点からからマルコ福音書を読み込でいくことが可能だと考えています。その上で13~20節を読み解いてみたいのです。「それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る」「御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう」「御言葉を聞くが、この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない」、このような現実は、信仰を含めた「わたしの日常」から無縁であると誰が胸を張って言うことができるでしょうか。この警告は、他者に対してではなく自らに向かっているものとして受け止めるべきなのです。マルコ福音書の教会と同様、わたしたちの世界の現実でもあるからです。ここを忘れてはいけない。しかし、あくまでも中心は、「30倍、60倍、100倍」に実る種の現実感です。ミレーやゴッホの有名な「種蒔く人」の絵のように、主イエスが大地に向かって大きく手を振り広げ、種を飛ばす。そして、それはきっと鼻歌を歌うか口笛を吹きながらだったのではないかと思うのです。底の抜けた楽観的な主イエスであるから。大きく育てよと声をかけ、強く育っていくだろうと信頼し、祝福の祈りを込めて楽し気に、慈しんで種を蒔く。

 このような意味において、わたしたちのいのちの源である主イエス・キリストは生きており、働いておられます。そして、わたしたちの実りの確かさを信じて種を蒔き続けているのです。わたしたちの状況がどのようであるかに関わりなく‥‥。このことへの気づきをもたらす信仰が、わたしたちに向けられているのです。だからわたしたちは、安心して、それぞれ与えられている業に励んでいけばいいのです。楽しげに種を蒔く主イエスの姿を心に思い描きつつ、歩んでいきましょう。この歩みの中で、実りをもたらさないとされる土地さえも、主イエスの信頼によって蒔かれているがゆえに「良きもの」へと変えられる可能性があると信じてもいいのではないでしょうか。実りが約束されているからこそ、良き畑へと自らを楽しみながら耕していくことができる。楽天的な全能者の赦しの力を信じるとは、このような方向にも向かうのではないでしょうか。実りの豊かな約束の射程は広い、このように信じながら、ご一緒に祈りましょう。

2020年5月17日 (日)

詩編119編 103節 「御言葉の味わい」

 詩編119は詩編の中でも最も長く、ヘブライ語のアルファベット22字それぞれにつき、その文字から始まる8節ずつが綴られています。今日の箇書は(メム)とありますから、「メム」から始まる8節の詩が語られ、22×8で全176節となっているのです。この97104節から解釈していきます。

119編を通して読むと、テーマは「神の意志の具体としての言葉」であろうと思われます。それを表わすのに「律法」「御言葉」「命令」「掟」「定め」などが用いられています。今日の箇書で言えば「仰せ」が相当します。神は、イスラエルの民に向かって、神の意志に従って生きるところにこそ喜ばしさがあると示し、これに対する信仰の告白として「詩」という形式をもってこの詩人が応答したのです。神の意志、その御言葉である「律法」の「仰せ」られるところは「わたしの口に蜜よりも甘い」というのです。

 ここで言う「蜜」のイメージを整理しておこうと思います。おそらく「蜜」とは甘味の代表、最も強い甘さを表わしています。近代になって甘味の代表である砂糖が大量生産できるようになり、比較的安価で流通している現代の感覚からは、甘味に希少価値があり憧れの対象であったとは想像しにくいかもしれません。また、現代では甘い物の取り過ぎは健康的でないという風潮もあるようです。しかし、古来人間は甘味への憧れを強く抱いていたと言えます。元々は天然の野生の蜂の巣から得られる蜜を始め、生の果物(ぶどう、いちじく、ざくろ、ナツメヤシ等)を乾燥させたり、絞った果汁や樹液を煮詰めて糖度を上げることもしていたでしょう。甘味は、アルコールほど強力ではないかもしれませんが、快楽をもたらす依存性物質でもあるのでしょうか。甘い物を口にしたときに、ただ口の中に広がる(まさに、ほっぺたが落ちるような感覚)のみならず、甘さが身体中に行き廻り、指先まで痺れるような感覚。そのような甘味を表わすものとして「蜜」という言葉は読んでください。

 97節以下を読むと、律法を愛し心砕く、と詩人はまず告白しています。律法から多くを「教え」られるのであるから、「命令」と「御言葉」を「守る」と。律法に生きる生き方は蜜よりも甘い素晴らしさに満たされている、と高揚していきます。神が与えてくださった律法は、蜜になって身体を満たし、震えるほどの喜びとなって、充実感・人生の質の向上への導きがあると詩人は感謝をもって謳い上げます。

 神の意志、その思いとは、「蜜」で表現されているようにイスラエルの民にとって甘美であり喜ばしいものではあります。しかし、後のイスラエルは「律法主義」に陥り、また人間の都合に合わせた解釈による合理化など神の思いに反逆していくという過ちを犯しました。神の「律法」「命令」「仰せ」とは、本来良きものです。それを捻じ曲げるところに人間の弱さがあるのです。

 キリスト教会は、詩編も含めたユダヤ教の伝統を踏まえ、「律法」の成就がイエス・キリストであると再解釈しました。この点についてマタイによる福音書は次のように述べます。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」(マタイ5:17—18)この律法の成就としてのイエス・キリストは「蜜」の味わいとして次のように語ります。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28-30)

 しかし、かつてユダヤ教が「律法主義」に陥ったことはキリスト教会にとっても無縁のことではありません。独善に陥ってきたことは「キリスト教史」を概観すれば分かることです。キリスト教的律法主義が多くの「人道に対する罪」を犯してきたことを忘れてはなりません。本来、律法は神からの祝福です。イエス・キリストの神の教えは「蜜」の甘味とか滋養とか人を生かす力あるものです。この主イエスにある「蜜」としての「御言葉」を喰らって生かされてある存在が、教会でありキリスト者なのかもしれません。しかし、注意が必要なのです。

 ここでヒントとなりそうな言葉があります。ヨハネの黙示録です。【「第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。それは、神が御自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである。」すると、天から聞こえたあの声が、再びわたしに語りかけて、こう言った「さあ行って、海と地の上に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ。」そこで、天使のところへ行き、「その小さな巻物をください」と言った。すると、天使はわたしに言った。「受け取って、食べてしまえ。それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い。」わたしは、その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。それは、口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった。すると、わたしにこう語りかける声が聞こえた。「あなたは、多くの民族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなければならない。」】(黙示録1:7-11)

 キリスト者とは、「蜜」である「御言葉」としての「仰せ」を受けつつ歩むものです。しかし、ただ単に耳に心地良いような、口当たりの良い物だけを求めるのは間違っています。黙示録のテキストの告げる「腹は苦くなった」という性質を忘れてはならないのです。「腹の苦さ」に象徴されるであろう、責任性とか気まずさのようなものをも含めて味わうべきなのです。「蜜」にしても、蜜蜂の採取した花の種類や環境によっては、単純な甘さではなくて香りが複雑だったり、雑味に感じられる苦さとか渋さもあるだろうと思います。表面的な甘味だけを追求することは、思考せずに従うことだけを求める律法主義に陥ります。

 困難や苦難、痛みや悲しみと無縁な人生が蜜を味わう人生ではありません。そうではなくて、むしろ、解決困難な課題や問題の中でこそ、人生を味わう力を発揮できることが大切なのではないでしょうか。神から与えられる蜜の味の人生を味わう信頼の中で生き抜く、希望の人生です。

 わたしたちの大先輩であるパウロは、この蜜を味わう伝道の生涯を歩んだと考えます。彼の生活は艱難に満ちたものですが、悲壮感や絶望感ではなくて、希望を味わう蜜の味を知っていたに違いないのです。コリントの信徒への手紙二 11章23節以下でパウロは語ります。【苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。】

 ここで「わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」と語りうる主イエスへの信頼とは、人生を蜜として味わうあり方ではないでしょうか。この世の価値観とは別の在り方を知っていたのです。このパウロの信仰における態度は、主イエスの姿を引き継いだものです。神の教えとしての蜜の味を知る者のみが語りうる、世に対する接近の仕方です。理不尽で不平等で争いの絶えない世界にあって、なお希望に生きる。そしてこれは、山上の説教に共鳴していると思えるのです。今一度、主イエスの教えの中でも有名なマタイによる福音書5章の山上の説教の「幸い」の言葉を聞きつつ、「あなたの仰せを味わえば わたしの口に蜜よりも甘いことでしょう。」との言葉への思いを整えたいと願います。

「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ5:3-12)

 主イエス・キリストの神の祝福のもとで、備えられた自分の人生の質を模索しながら主イエスにある喜びに人生を「蜜」として味わいたいものです。それは必ずしも決して上品なものではなくて、しばしば日毎の悩みや苦難の中でなりふり構わず「御言葉」をむさぼり喰らうような、端から見れば見苦しい場合もあるのかもしれません。でも、そこには味わいのある人生が備えられているはずなのです。聖書の「御言葉」のもつ力に一度でも触れたこと、そのように支えられた経験を実感したことにある人にとっては、共感や共鳴へと引戻されるのではないでしょうか。

2020年5月10日 (日)

ルカによる福音書 8章22~25節 「イエスはそこにいるのだから」

 ある日、主イエスは「湖の向こう岸に渡ろう」と弟子たちと舟に乗り込みました。「向こう岸」には、後に続く26節からの文脈では「悪霊に取りつかれたゲラサの人」がいたので、おそらく会いに行ったのだと思われます。40節の物語でも二人の女性の癒しの物語が続いています。この「湖の向こう岸に渡ろう」という言葉には、出会いを求めて、しかも癒しの業を行うという目的意識を念頭にした方向が示されていると読むことができます。つまり、病という困難情況から人を自由にすることで生き生きとしたいのちの質を向上させ、今生きていることへの喜びを取り戻すことが目的とされていたのでしょう。

 今日の聖書は、その途上でのエピソードとなります。その主イエスの意志を理解できなかった弟子たちの無理解の姿を描くことで、読み手に反面教師としての姿を見せようとしているのではないしょうか。

 舟を漕ぎ出したのは良かったのですが、主イエスはぐっすりと寝てしまったとあります。そこに急に激しい突風が起こり、水をかぶってしまい、このままでは船が沈んでしまう危険にさらさされると弟子たちは恐怖を覚えたのでしょう。ガリラヤ湖の突風は珍しいことではなかったようです。周りは山に囲まれており、天気の加減で冷たい風が流れ込んでくることもあったようなのです。弟子たちの何人もがガリラヤ湖の漁師でしたから、この現象について知らなかったはずがありません。突風に対処する術を知らなかったとは考えにくいのです。それなのに何故、彼らはおののいてしまったのでしょうか。主イエスが一緒にいることから油断していたのでしょうか、慌てて主イエスを起こして「先生、先生、おぼれそうです」と助けを求めます。この、弟子たちの姿。自分たちはプロの漁師であるとのプライドを捨てています。主イエスがいるのだからと、自分たちの信仰に安住することで理由のない自信や安心感にすでに溺れてしまっていたのかもしれません。主イエスの存在に信頼つつも、寝ていることで、その働きが無効にされているという不信感であったのかもしれません。

 主イエスは寝ています。突風により水をかぶり舟が沈むような状況に襲われたとしても、です。ここに主イエスの楽天的な信の態度を読み取ることができます。しばしば、わたしたちは何か不安なことや悩み、悲しさに陥ると眠れなくなることがあります。眠ることができるとは、安心感の中で神の守りに全的信頼を寄せることができているということです。突風が起こることもあるだろう、ガリラヤ湖の自然なのだから。しかし、眠ることができる。この態度をテキストから信仰と読むことができるのではないでしょうか。困難な時にでも眠れる力。弟子たちに信があれば主イエスと一緒に寝ていることができた、わたしはそう思います。しかし、弟子たちはその無理解と不信仰のゆえに主イエスを起こしたのです。すると主イエスは起き上がって風と荒波を叱りつけ、嵐は静まって凪になったのです。主イエスは「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と問いかけ、弟子たちは「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と言い合った。こういう物語です。

 このテキストは、ただ単に自然の脅威に対して主イエスが絶対的な力をもっている素晴らしい能力者だということではありません。突風によって水をかぶり沈みかける舟の中で安心して眠る主イエスと、慌てふためく弟子たちの対比によって、信仰とは何かを弟子たちを反面教師として読者に悟らせようという意図を読み取ることができます。

 困難な状況に対して、眠ることで示される信なのか慌てふためく不信なのかを、神に委ねて生きるあり方を問うているのです。「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」という弟子たちの言葉は、自然奇跡を行った主イエスに対する感嘆と偉大な奇跡行為者への驚きという風に捉えてしまうと、万能者である主イエスの像しか与えられません。そうではないのです。もちろん奇跡行為者である主イエスの力を否定するわけではありません。重要なのは、反面教師としての弟子たちの姿であり、これは、現代の弟子である教会に対する、自らの信仰に安住してはいないか、自らの信仰に対する自己検証である神学することを怠ってはいないか、という警告の物語なのです。

 確かに、わたしたちは主イエスをキリストと信じ、告白し、教会につながっています。主イエスが一緒にいてくださることを疑いもしていないでしょう。しかしそれはどこまで本当で真摯なものか、というところまでテキストは問いかけているのです。主イエスが一緒にいてくださるはずなのに、何故課題や苦しみから自由になれないのか、と。次から次へと解決困難な問題が起こってくる中、眠っておられる主イエスに対し、働いていないキリストなのではないかと不信に揺れていないかと。

 しかし、主イエスが眠っておられるのは、そこに全的な信があるからに他ならないのです。本当に困難な状況なのかを見極める必要があるということです。

 それでも、「先生、先生、おぼれそうです」と助けを求めたことに対して「風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった」のですから「めでたし、めでたし」なのでしょう、きっと。しかし、忘れてはならないのは「あなたがたの信仰はどこにあるのか」という問いに対して「「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と感嘆をもって答えるだけでは充分ではないということです。「この方はどなたなのだろう」という疑問に対して、神学していく義務がキリスト者にあるという自覚が大切なのではないでしょうか。

 主イエスが共にいてくださることを根拠にしつつ、主イエスと一緒に歩む道に、わたしたちはすでに招かれてしまっているのです。8章26節以下では奇跡物語が続きます。最初に述べたように、出会い、苦しんでいる人の生き直しを支えるために、「向こう岸」に行くのです。9章1節からは弟子たちの派遣の記事へとさらに続きます。弟子たちは、主イエスの命じる伝道に導かれていくのです。ルカによる福音書に描かれる弟子たちの姿は過去の事柄に留まりません。今の、そしてこれからのわたしたちの姿でもあるのです。主イエスに促され、支えが必要な人と出会い、その隣人となっていく時に、その根拠となるのは、嵐の中、主イエスが共にいてくださる安心です。ただし、そこで油断しないように気を付けなければなりません。嵐の湖で眠る主イエスに動揺せず、信頼することができるか。常に「この方はどなたなのだろう」との問いを生きるものとして整えられ、主イエスに相応しく歩むことができるように祈りましょう。

2020年5月 3日 (日)

創世記1章3節 「根源としての光」

 創世記1:1-2:4aは、いわゆる「天地創造神話」となっています。この記事が史実であると信じなければならないという立場を、少なくともわたしは取りません。しかし、神による「天地創造」自体を否定するわけではありません。「天」と呼ばれる人間の理解を超えた世界も「地」と呼ばれるわたしたちの暮らす世界のいずれも、神による被造物であることは信じています。というか、むしろ「天地創造」の物語それ自体を信じるよりも、創造者である神を信じることの方が大切なのだという立場です。すなわち、「天」であれ「地」であれ被造物なのであり、その限界が置かれているのだということです。とりわけ、「地」にあるわたしたちはとことん被造物であることに対して謙虚であるべきだと考えます。この謙虚さを維持することは、傲慢な人間にとってなかなか難しいことだと言えます。続く物語では、アダムとエバが禁断の実を食べてしまう動機が、蛇の言葉に表されています。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」(1:3b‐5)とあり、「神のように」なりたいという願望から自由ではないのです。また、11章の初めの「バベルの塔」建設の動機も「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう。塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」(11:4)とあるように「天まで届く」力の誇示としての傲慢さがあるのです。

 この「天地創造神話」は、常識的な人からすれば荒唐無稽で笑い飛ばすほどの物語であるかもしれません。また、古代人もどこまで本気で信じていたのかも分かりません。しかし、「神話」という形式でなければ伝えられない「本当の本当」があるのではないかと思うのです。人間は、確かに知的でありますが、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」(1:28)と命じられたことにおいて他の被造物に対して何をしてもいいのだという「支配」の権威が与えられているのでしょうか。否、あくまで人間もまた被造物であるのですから、他の被造物を侵さずに、保護し、共存する仕方で「仕える」謙虚さが求められているのではないでしょうか。

 さて、神は六日間で世界を創造し、七日目に休まれた、とあります。神は、神として自己完結することも可能であり、「天地創造」をしない自由ももちろんあったわけです。しかし、神は創造された。ただ、恵みの業として行われたのです。そしてすべてをご覧になって「良し」とされました。この究極の肯定、大いなる恵みから、世界は始まっているのです。

 神の第一声は、「光あれ」という言葉でした。この天地創造の光とは何だったのでしょうか。第4日目には次のようにあります。【神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。夕べがあり、朝があった。第四の日である。】(1:1419)。ここでは、太陽や月や星が創造されています。そうすると、3節で「光あれ」との言葉で呼びかけることによってたらされた「光」とは何を指しているのでしょうか。岩波版の創世記を月本昭男が訳していますが、註で「光は生命と秩序と救いの根源の象徴」とあります。すなわち、神の意志の表れとしての生命の基本、秩序の基本だというのでしょう。いわば、最初に創造されたのは不可視的な「根源としての光」だというのです。

 何故、創世記は「根源としての光」を「天地創造物語」で最初に描かなくてはならなかったのでしょうか。この背景には、「バビロン捕囚」というイスラエルの歴史における困難な事態があります。そこでまず、大雑把にイスラエル王国について説明しておきます。紀元前1000年ごろにイスラエル統一王国がダビデ・ソロモンによって繁栄します。しかしソロモンの死後、北王国イスラエルと南王国に分裂します。その後、北王国イスラエルは紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされ、民族混交政策が取られます。残った南王国ユダは新バビロニア帝国により紀元前587年に滅ぼされ、上流階級の人や祭司、また腕の立つ職人などはバビロンに連行されました。国の再建をさせないためにです。古代における戦争は国と国との戦いだけではなく、それぞれ背後にいる神の闘いでもあるわけです。すなわち、国の滅亡とは、自分たちの神の敗北なのです。したがって、バビロン捕囚は自分たちの神が負けたゆえの出来事であるとさえ言えるのです。その嘆きは次のようでした。【バビロンの流れのほとりに座り/シオンを思って、わたしたちは泣いた。竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。わたしたちを捕囚にした民が/歌をうたえと言うから/わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして/「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。どうして歌うことができようか/主のための歌を、異教の地で。】(詩37:14)。

 当初は祖国復帰を願っていたのでしょうが、この事態が60年続く中で世代交代されつつ、バビロニアに同化していく向きもあったようです。しかし、この困難な状況の中でイスラエルの民族性・宗教性を保持し、整え、純化していく運動もありました。その人々が、この「天地」は神による創造だとの信仰、つまりあらゆる事象は被造物であるという認識に至るようになりました。バビロン捕囚のただ中、その闇の時代の中にあって、神の敗北は自分たちの罪のゆえであると自覚したのです。そして「根源としての光」を再認識し、歌い上げたのが「天地創造物語」の「光あれ」という言葉の出来事だったのです。

 キリスト教会は、ユダヤ教のこの「創造信仰」を、先在のキリストとして再解釈しました。【初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。】(ヨハネ1:15a)。

 この信仰から次のように受け止めることができるのではないでしょうか。被造物としての「地」である世界は混沌として絶望に満ち、希望のかけらさえ完全に失われているように見えるかもしれない。しかし、それでもこの世界は神の言葉の呼び出しによって創られたのだから神の想いに立ち返れ、との促しがあるのです。その立ち返りを促す言葉が、「光あれ」なのだと。この世界は神の言葉「光あれ」によって創造され、よきものとして積極的に肯定されたものなのです。「光あれ」という神の言葉は、イエス・キリストとして、今日、わたしたちに向かって語られています。イエス・キリストは、この混沌の世界にあって、わたしたちの目には見えないけれど、わたしたちの根源を照らす光なのです。混沌に秩序をもたらし、闇に光をもたらす、希望の光、救いの光、人間がそれによって生きることが赦される土台のような光がイエス・キリストであることを、共に感謝をもって確認したいと思います。

「光あれ」という言葉のもたらす現実をパウロは語ります。【こういうわけで、わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのですから、落胆しません。かえって、卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより、神の御前で自分自身をすべての人の良心にゆだねます。わたしたちの福音に覆いが掛かっているとするなら、それは、滅びの道をたどる人々に対して覆われているのです。この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。…‥】(Ⅱコリント4:1以下)。

 このパウロの指摘する現実を、わたしたちの時代においても十字架のイエス・キリストの力として受けとめることができるのではないでしょうか。

 現代社会の混沌のただ中にあっても、教会に示されている光は揺らぐことがないのです。なぜなら、今日もイエス・キリストは揺らぐことなく働き続けておられるからです。「光あれ」という言葉の成就であるイエス・キリストによって包まれており、「土の器」としての限界と責任性をもって歩むことが赦されているのです。根源としての光の前で、わたしたちは被造物である事実に対する謙虚さを学び直すときなのではないでしょうか。人が万能感に酔いしれて来た近代から現代に至る歴史を冷静に省みることはできないものでしょうか。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」(1:28)、この言葉における「支配」を人間は誤解してきたのではないでしょうか。人間は、他の被造物に対して全能でも万能でもないのです。これは核や遺伝子をいじることへの警告に留まりません。アダムとエバが誘惑に陥った事態、またバベルの塔の建設への欲望は、終わってしまった過去などではないのです。今というこの時の課題です。被造物としての自覚をもちつつ、「光あれ」という大いなる神の恵みを生きていくこと、それがわたしたちに示された道ではないでしょうか。人間は、あくまで被造物であることを直視することから絶えず謙虚さに引戻されなければ、道を踏み外してしまうのです。

 主イエス・キリストは「光あれ」が人となった姿そのものです。その方から示される、まことに立ち返ることを願い、また祈ります。そして、主イエス・キリストが先在であり光であるという理解から、わたしたちは被造物であるという限界における責任性において歩んでいけばいいのです。「根源的な光」の祝福と守りのもとで…‥。

2020年5月 2日 (土)

詩編23編 1~4節 「羊飼いの配慮のもとで」

 ヨハネによる福音書1011節以下によれば、主イエス・キリストは羊飼いであると言われています。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。」。この、イエス・キリストが羊飼いとして、教会に連なる一人ひとりを羊として守り導き、育ててくださるのだというのです。

 この発言の背景には、イスラエルの歴史の中での、また生活感の中での身近さがあります。古代イスラエルで成立したユダヤ教は、元々砂漠の宗教です。出エジプトからカナン侵略の過程で、牧畜生活から農耕生活に生活スタイルの重点が徐々に移り変わっていきますが、牧畜民としてのDNAみたいなものは引き継がれていくのです。確かに、イエスの時代の頃にはすでに、ルカ福音書などによれば羊飼いは社会から疎外され軽蔑され差別されていたことが分かりますし、裁判の証人になれないほど信用されなくなっていたようです。

 しかし、ユダヤ教からキリスト教の歴史の流れの理解の中で、神が羊飼いであり民が羊であるという喩えは一般的に受け入れられていたと考えられます。そこで、まず今日の詩編23編を読むことから、まことの羊飼いである主イエスのイメージの捉えかえしの試みをしたいと思います。

 わたしたちは、聖書に限らず読書する場合に、書かれていることを自分の生活感や価値観とか経験値に基づいて理解しがちです。異質な世界観を、自分の理解の枠に追い込めようとするわけです。しかし、それでは十分ではありません。その書かれた時代的意味や背景を少し突き放しながら想像しながらでないとテキストに近づけなくなるように思われるのです。

 今日の詩編23編を一読してみて思い浮かべられる景色とはどのようなものでしょうか。一般的な日本における感覚だと豊かな初夏の牧歌的な景色を思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、たとえば、詩編121編の都に上る歌の冒頭の言葉。「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。」とあります。ここで言われているのは、鎌倉とか丹沢などの豊かな緑に覆われた山ではなく、緑少なく岩場の多い険しい山です。詩編の謳う「山」のイメージがまず岩山だとすれば、23編に描かれている景色を想像すると、そこには砂漠とまでは言えないとしても、少なくとも荒れ野が広がっているはずなのです。

 そのような環境にあって、羊飼いは羊を引き連れていくのです。荒れ野の広がる中、羊飼いの馴染のポイントであったのか、あるいはオアシスであったのか、ともかく水辺から水辺へと羊の群れを引き連れて行きます。そこには餌となる草が生えているからです。その道中も決して楽なものではなかったことでしょう。緑を求めて山から山へと越えていく、道すがら、時には危険な「死の陰の谷」が横たわる尾根伝いの道であることも容易に想像できます。

 羊は知能が高く穏やかで従順で臆病だといわれています。そうかもしれませんが、実際に羊を飼育した人から聞いた話ではそれだけではないようです。警戒心が強く、悪知恵が働き、ずるがしこくて我儘だというのです。羊の小屋に入れておいても、如何に逃げ出すかの工夫をして隙間を見つけて土を掘ってみたりするそうです。はぐれてしまったり、怪我をしたりすることもあるでしょう。ですから、羊飼いにとって羊とは、なかなか手ごわい存在であり、気を緩めることができず緊張と集中が強いられる仕事であったと考えられます。西洋語では通常、名詞は、一つを表わす単数形と二つ以上を表わす複数形があります。たとえば、犬ならDogDogsと。しかし、羊の場合は単数形も複数形も同じSheepです。つまり、群れをもってこそだということです。空を流れる雲のように塊として動いているイメージでしょうか。

 そのような羊飼いは、多くの場合独身男性の仕事で、暮らしぶりは羊を引き連れての毎日がキャンプのような感じだったと思います。生活道具一式の中に、仕事道具もありました。その中に鞭と杖があります。一般的な解釈では、打ちつけることで躾けたりする目的だと考えられると思います。確かに鞭は、旧約での使われ方を見ると、神からの刑罰や試練とか権力からの罰や敵からの暴力について用いられることの多い言葉です。しかし、詩編23編の場合、杖とセットになることで意味合いが違ってくると考えます。杖は、武器にもなりますが旅などの道具でもあります。長い杖は迷い出る羊を群れに戻すときにも重宝したでしょう。羊飼いにとって鞭と杖は、羊に対して暴力的に使われるのではなくて、むしろ襲い来る猛獣や強盗などに対して向けられる防衛的なものです。つまり、羊を守るための道具なのです。

 さらに言えば、この杖のイメージは出エジプトから理解すれば、より分かりやすくなります。神が羊飼いであるイメージから転じて、神に委託された指導者に適用されるのです。後のダビデもそうですが、羊飼いには「指導者」や「王」の意味が与えられてきます。羊飼いをしていた時のモーセの杖は、出エジプトにおいては民という羊を40年間導く杖に意味が変わるのです。そう言えば、羊としての民イスラエルは、先ほどの友人から聞いた羊と似ています。奴隷の民から解放されたのに不平不満を言いつのります。いくつか引用すると、出エジプト記163節「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」と食べ物に対する不満が起こり、これに対して天からマナが与えられます。17章では、飲み水がない時「我々に飲み水を与えよ」と民は不平を述べます「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか」と。そこで神の指示のもとモーセが杖で岩を打つと水が流れ出たとあります。

 このように見てきた上で、詩編23編を読み返してみると、情景が明確になってきます。詩人は、神こそが羊飼いであると身をもって知っているがゆえに「わたしには何も欠けることがない」と告白できました。ですから、「主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。」ことを感謝できるのです。ここは、何事も起こらない平穏無事な場なのではありません。「死の陰の谷」と隣り合わせの情況のただ中においての告白と感謝なのです。だからこそ、応答は「わたしは災いを恐れない」のです。これらの根拠は、守りとして「あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける」からこその「あなたがわたしと共にいてくださる」ところにあります。

 この詩編23のイメージを踏まえて、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」を解釈することができます。十字架と復活の主イエスに立ち返る時に、わたしたちの心に「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。」(ヨハネ10:14)という事実が、主イエスが共にいてくださることとして確認されるからです。わたしたちの今という状況は「死の陰の谷」と決して無縁ではありません。さらに言えば、出エジプト記において不平不満を述べたイスラエルの民を他人事だとも言えません。羊の我儘さから全く自由にされているわけではないからです(悪い意味での「自由意思」があるので‥)。

 現代社会においてわたしたちは、落ち着きや冷静さを失いつつあるようです。情報の量が多過ぎて判断する能力が低下していたり、感覚が鈍くなったり、あるいは確からしく見えるけれども不適切な言説や報道などに惑わされがちだからです。また、無感動、あるいは逆に過剰な反応に陥ってはいないでしょうか。自分の意見や考えなのか、それともテレビ等で誰かが言っていたことを自分の考えと勘違いしてしまっているのか……。そして、スケープゴートを見つけては、寄ってたかって叩くことを「正義」と勘違いする。見事なまでに「群れ化」してしまう。冷静な判断のもと自分の考えと向き合うことのできない状態にあるのではないでしょうか。

 このような困難な状況の中で、羊飼いである主イエスが共にいてくださることへの信頼に生きる群れとして、また一人のキリスト者として、地に足をつけて歩むことができように祈りましょう。復活の主イエス・キリストは、わたしたちが迷い惑う時、羊飼いとして、その鞭と杖によって正しい道へと導いてくださるのです。わたしたちに必要なのは、まず、雑多な音の中で羊飼いの声を聴き分けることです。主イエス・キリストのみが、まことの羊飼いとしての主イエスの配慮に委ね、鞭と杖をもって導き、共にいてくださることへの信頼に歩んでいきましょう。

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