イザヤ11:6「明日を生きる神の子どもたち」
~子ども祝福礼拝として~
イザヤが活動したのは、主イエスの時代よりも700年以上前のことです。当時は、ユダヤ人の国は、北の王国のイスラエルと南の王国のユダという二つになっていました。イザヤは南王国のユダで活動していました。
イザヤは、その時の王が神から見たら間違っていることをしていると告げました。そして、希望は、子どもに託されているというのでした。それが今日の聖書です。獰猛な狼と小羊、豹と子山羊が、そして子牛と子ライオンたちが仲良く暮らせる世界を夢見ていて、「小さい子供がそれらを導く」というのです。ここにあるのは「平和」のイメージです。「平和」のイメージは「神は我々と共におられる」(イザヤ書を11章まで読んでいく中で捉えられます)ことだと言えそうです。
今日の聖書の言葉には、戦争に加わってはいけないというイザヤの心が現れています。イザヤが仕えていた南王国ユダの王のアハズは、ダマスクスの王と北の王国イスラエルの王からアッシリアに対して一緒に戦争しようと誘われたのですが断ります。そうしたら、それらの国から攻撃されてしまったのです。そこで、南王国ユダのアハズ王は、アッシリアに、これらの国が、あなたの国に対して戦争を仕掛けてきますよと教えて、アッシリアに助けてもらったのです。しかし、イザヤは、一緒に戦争に参加することも、戦争から助かるために大きな国に助けを求めることも間違っていて、いずれも大きな戦争になってたくさんの人が死んでしまうし、傷ついてしまうからやめなさいと言ったのです。このような事情の中で、イザヤは夢見る力によって子どもに「平和」への希望をつなごうとしたのです。
おとなたちが子どもの言葉に耳を傾け、子どもたちが夢見る平和への道をおとなたちに伝えていくことができれば、世界は変わっていくと信じることができます。そのような思いへと招かれていくことが大切だと思うのです。神が、主イエスとして一緒にいてくれる感じ・その心は、イザヤ書の語る「弱い人のために正当な裁きを行い/この地の貧しい人を公平に弁護する。」ところにあります。この生き方を主イエスは、その生き方を通して教えてくださいました。
マタイによる福音書5章9節には、次のような言葉があります。「平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。」と。イザヤが預言し、主イエスとして現れた神の思いは、ここにあります。少しでも「平和」への思いを寄せていくところにはすでに、子どももおとなも一緒に「明日を生きる神の子どもたち」として招かれてしまっているのです。この主イエスの願いを受け止めながら、子どもたちの祝福を願う教会として歩んでいきましょう。(加納眞士 作『もしも8歳のこどもが大統領に選ばれたら』を参考に)
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