ヨハネの手紙一 1章1~4節 「永遠の生命-使徒信条講解24」
「身体のよみがえり」という具体に続いて、永続的な意味合いをもつ「永遠の生命」についてハイデルベルク信仰問答58は次のように考えています。
【問58 「永遠の命」という箇条は、 あなたにどのような慰めを与えますか。 答 わたしが今、永遠の喜びの始まりを心に感じているように、この生涯の後には、目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったような完全な祝福を受け、神を永遠にほめたたえるようになる、ということです。 】
将来の「永遠の生命」という目標があるからこそ、「わたしが今、永遠の喜びの始まりを心に感じているように」と生きられるのだということです。「天国」「神の国」「神の支配」いずれにせよ、彼岸の約束において現在が規定され、生き方が整えられていくとによって、今の生き方が決断され決定されていく、このような信仰理解がここにはあるのです。
「良いサマリア人のたとえ」の箇所は、律法の専門家からの「隣人とは誰か」という問いに対し、当時のユダヤ社会にあって被差別者であったサマリア人が隣人として振る舞い生きたというたとえです(ルカによる福音書10章25節から)。【すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」】
ここで、律法の専門家は彼岸でこの世での生き方に対する報酬としての永遠の命に至るためには何をしたらいいのかと問います。主イエスは、国境とか民族とかを超えた普遍的な人間関係が神への愛に支えられた隣人愛に生きること、隔てのない隣人になっていくことだと示しました。
彼岸の力は、この世においてどのように生きていくのか、何を目指していくのか、どのような志に生きるのかを激しく問うものです。身近な人間関係から広い意味での政治的判断や行動にまで及ぶのです。「永遠の生命」の約束は、善行を積めば死んだら「天国」に行けますよ、などという了見の狭い事柄ではないからです。
永遠の生命の約束における彼岸からの力は、交わりを作り出し育てていくのです。その根拠がここには示されているのです。ここから的を外さずに歩んでいくことへの導きの中で喜んで生きられるようにと願いつつ、隣人になる道を模索しながら歩み、目標に希望を抱きながら、旅人としてこの世において責任的に歩んでいけばいいのです。「わたしたちの本国は天にあります」(フィリピ3:20)から。
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