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2019年9月29日 (日)

マルコによる福音書 2章13~17節 「罪人は一体誰なのか?」 井谷淳 伝道師

「マルコ福音書 罪人を招く為にこの宴を催したのだ。」
 本日の聖書箇所におけるイエスのテーゼは二つに大別されます。一つは当時の「ユダヤ社会の抱える構造的暴力の告発」という「社会学的側面」であり、もう一つは「人間が人間を罪人として規定し断罪してゆく欺瞞性」に関する「信仰的、神学的告発」という側面であります。当時のユダヤ社会はユダヤ教神権政治体制を中核とした中央集権国家体制の中でピラミッド型のヒエラルキーが細分化し、且つローマ帝国政治支配の憂き目に会い、ヒエラルキーのボトムに居る人々の肩には二重支配による重税等の軋轢が重くのしかかっていました。そしてユダヤ当局のとっていた政策は(古今東西例外なく全ての中央集権国家でも同様の手法ですが)そのヒエラルキーの底辺の人々を更に階層的に細分化し被抑圧的職業属性を持つ人々が互いに「近親憎悪」「同属嫌悪」的な感情を相互に植え付けてゆく「分断政策」を施行していました。被抑圧集団同士の連帯を阻むためであります。本日の文節のキーワードである「罪人」は、このように普段は国家政策により分断されがちな「罪人」同士がイエス伝道の途上の場面での「集会」兼「愛餐会」のような場面によりつどっていました。「徴税人その他罪人の者達」という漠然とした表記がなされていますが、「罪人の内実~その社会的属性」は「羊飼い」、生き物の「生成与奪」に纏わる「漁師」「日雇い労働」に従事する異邦人、寄留者等の「外国人」、様々な事情により独り身に成らざるを得なかった「寡婦」と呼ばれる女性の方々、前述したような「姦淫の罪」に定められてしまった女性。そして「障碍者」であります。このような方々は10分の一税の不履行、安息日遵守の不履行その他当時の定められた「律法規定」から外れてしまう事情をその「生活状況の背景」に抱えていた人達であります。しかしこのように人間を「罪」に定めてしまう「律法」を定めた側こそが、真の『罪人』であるとイエスは説いているのです。文節中「そこへファリサイ派の人が現れ」と表記されています。私はイエス自らがこのような『体制側』の人間を意図的に呼び寄せたという『伏線』があるのではないかと感じます。イエスは不遇な状況性に置かれた人達を「罪人」としてプロット化し、「自己の優位性」を確保しようと画策する人間こそが、真の『罪人』であるとファリサイ派の人々に警告しているのです。「私は罪人を招く為にこの宴を催しているのだ。」このアイロニーに満ちたイエスの言葉に果たしてファリサイ派の人々は気付きを覚えたのでしょうか。イエス催した宴はこのような「人間を罪」に定めてきた人々の「信仰的欺瞞」に気付きを与える為の「和解」の為の宴であったのです。プロット化された社会の階層的ボーダーラインを越え人々が食事を共にする姿は豊かな人間性の回復の場所でありました。或いはこの姿が教会の原点かもしれません。

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