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2019年6月24日 (月)

使徒言行録 2章43~47節 「信じるために必要なこと」

~「花の日・こどもの日」子どもとおとなの合同礼拝~
 言葉が本当として伝わって、聞いた人が信じるためには、話しだけではなく行いも必要です。「民衆全体から好意を寄せられた。」とは、言葉の中に「本当」が明らかにされたということです。「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので」とあります。助け合いながら、相手のことを思いやることを大切にしていたということです。裕福な人も貧しい人も一緒に食べることで、分かち合うことで、助け合うことを行ったのです。
 言葉と行いとがズレないためには、ただ単に正しい行いとして助け合えばいいというだけではありません。相手を大切だと心から思っていなければなりません。ここで気を付けたいのは、「良いことをしなければならない」ではないということです。ただ良いことを「する」ことが大切なのではありません。その「する」の基を見ていなければならないのです。行い、つまり「する」ことが大切なのではなく、「行い」の基こそが重要なのです。○○をするあなた、ではなく、あなたそのものが大事なのです。「する」よりも「ある」が大切なのです。「ある」が大切にされてこそ、「良い行い」をすることができるのです。
 一切の条件なしに、つまり、○○をしたら認めてあげるとか××をできてすごいね、そんなことではないのです。今のあるがままを条件なしに受け止め、認めるということ。これこそを大切にすることです。「する」を「本当」として支えるのは「ある」の全面的な保障なのです。
 主イエスを信じる人たちに「本当」が生まれたのは、主イエスが一人ひとりの今の「ある」を無条件に認めたことを根拠にして「する」という交わり・関係性を育てていく道筋に生きたからなのです。教会に代表される、人と人との関係は、主イエスの心である「聖霊」の働きによって、無条件に「ある」を認められた上で初めて「する」へと導かれることです。このような仕方で人と人とがつながっていくことができると今日の聖書は教えているのです。ここから初めて「一つにされたのである」が事として起こされていくのです。まず、自分自身の「ある」、そして他の人の「ある」を受け止めること、みんなそのままでOKだということ、それが信じるために必要なことです。

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