ルカによる福音書 14章15~24節 「いらっしゃい」
~世界祈祷日を覚えての子どもとおとなの合同礼拝~
-スロベニア共和国からのメッセージ-
テーマ:「いらっしゃい、準備はすっかりできています」
イエスがたとえ話をされます。ある金持ちの主人が、自宅に大勢の友だちや親せきを招いた。ところが、パーティー当日になってから次々に断ってきた。家の主人は怒ります。せっかくご馳走を用意して待っていたのに、色々な口実を付けて急に来られなくなったと言われれば当然のことです。畑を買ったり、牛を10頭買ったり、結婚するというのも突然決めることはあまりありません。前もって決めておくような大きなことです。それなのに、招かれたときにすぐ断らず、当日になってから断った。理由は二つ考えられます。一つはパーティーに行かないための口実。もう一つは、招かれた時、自分の予定を確認しなかったか、後から予定を入れた。いずれにしてもパーティーに招かれたことをそんなに喜んでいなかった、どうでもいいという感じです。
そこで、家の主人は街の中で今まで招こうとしなかった人たちに心を向け直します。「急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい」と言うのです。さて、ここにイエスの食卓の意味がハッキリとしてきます。神はイエスを遣わすことで何をしたいのかが分かってくるのです。貧しい人や弱っている人たちをこそ招くことが神の願いであり、これを実現することを聖書は教えているのです。「いらっしゃい、準備はすっかりできています」と語り合える社会が、神の願いに満ちた神の国を指し示していくのだというのです。
スロベニアは、日本の四国くらいの大きさで、人口は200万人。そんなに小さい国でも、豊かな部分もあれば、貧しい部分もあります。スロベニア共和国は、美しい場所が沢山あり、豊かに暮らしている人も大勢いるはずです。けれども、今日の礼拝で心にとめたいのは、スロベニア共和国の中で弱い立場や悩みの多い人たちです。少数民族やシングルマザー、アルコールや薬物依存の人やその家族。
神は、この世界を創られた時、「良い」と言われました。それは、できたばかりの世界、万物があるべき場所、あるべき形に収まっている、バランスのとれた世界です。あの世界のように、皆が心から喜んで暮らせるようにと神は願っているのです。
人は関係性に生き、同時に生かされていくものです。他の誰かと一緒でなければ幸せだとは言えません。幸せに生きていくために、イエスが立場の弱い人たち、病気の人たち、悩んでいる人たちに「いらっしゃい、準備はすっかりできています」と呼びかけてくださっている。このことに倣って、受け入れ合う社会を造っていくことが求められています。
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