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2019年1月20日 (日)

ルカによる福音書 12章49~53節 「偽りの平和に否!」

 わたしたちの課題は、平和をもたらす主イエスと火を投じる主イエスとを統合させて受け止めることなのではないでしょうか。火とは滅びへ導く裁きを意味します。この裁きのイメージは、おそらく洗礼者ヨハネから引き継いだものもあるかもしれません(3:7-9参照)。
 主イエス・キリストがこの世に遣わされたのは平和をもたらすためでありました。しかし、そこに導く主イエスの言葉と行いとは、場合や状況によっては火をもたらし波風を立て反発を招くものであり、その結果は政治犯として十字架刑に至るものだったことを忘れてはなりません。
 今日の聖書は、ですから火を投じる業が平和をもたらすために継続されていくことへの願いが込められているのです。そして、「その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか」というのは、サタンである悪魔はもはや壊滅寸前であり、あとは掃討戦のみだからです。掃討戦とは、ほぼ勝利している闘いにおいて、わずかに残る敵を殲滅することです(10:17-20参照)。サタンの壊滅は平和を意味します。
 平和理解の基礎には、天地創造物語においてなされた世界観があります。創世記1:31で 「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」とあるようにトータルな世界観です。地球自体が憎しみや殺意などではなくて、お互いの喜びによって支えあい、助け合う関係性すべてが神を崇めるイメージです。何の衒いもなく「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。」(詩100:1)と告白し得る世界観です。
 この世界観から見た時「70年間戦争しなかった日本は、まがりなりにも平和であった」と言えるでしょうか。否!です。
 わたしたちは現代日本における現実に対して、悪の問題に対して無責任にではなく、責任的に生きていく道への態度決定に招かれていることを知らされるのです。もしかしたら、身近なところで分裂が起こる可能性もあります(12:51-53)。主イエス・キリストにおける無条件で全面的な<いのち>の肯定を阻む勢力に対して抵抗していく姿勢が問われるのです。
 したがって、わたしたちの決断や態度決定に勝って、まず主イエスご自身が態度決定をし、腹を据えていることが支えとなり、助けとなります。波乱に満ちた、そして漠然とした不安のような空気の中で溺れてしまうような現代社会の闇、悪の力が闊歩する今ここで、わたしたちは主イエス・キリストに立ち返ることから、常に新しく始めなければなりません。

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