コリントの信徒への手紙一 12章4~11節 「教会は有機的な共同体」 横田幸子
人間の体が多くの部分から成っており、一つの部分が苦しめば他の部分も苦しむ。一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が喜ぶ。このような有機的なつながりによって成り立っているわたしたちの「体」は、「主の体なる教会」と言われてきた教会を「説明」するのにふさわしい。
教会に集まってくる人々は、それぞれの個性、あるいは個人的事情を持っている。それらの個々の違いを、神から与えられた「賜物」として捉える。最初はそれぞれの「違い」が内紛を起こしたりするけれど、やがて、それが「豊かさ」に変えられていくのが教会なのである。一方に苦しみを抱えている人がいれば、他方に苦しみなど持ち合わせていない人々がいるところで、いつの間にか相方が自分にないものを理解し合うというようになるということがある。自分に欠けているものに気付かされていく。そんな「違いによる豊かさ」をパウロは積極的に「神からの賜物」とみて、「キリストの体なる教会」の内実が育てられていくのだと述べている。素晴らしきかな有機的共同体、ではありませんか。
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