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2019年1月13日 (日)

ルカによる福音書 12章22~34節 「思い悩むな」

 わたしたちは「思い悩み」から自由でないことをよく知っています。自分の今の課題、病気や仕事、家族のことなど数えきれないほどであることは言うまでもないことだと思います。真剣に、そして真面目に生きようとするなら、それらに対してキチンと向き合わなければなりません。しかし、主イエスは「思い悩むな」と語ります。それは、各自の抱えている「思い悩み」に対する関係を今、もう一度冷静に捉えかえし、「思い悩み」の中に溺れてしまっているところから、それらの「思い悩み」を取捨選択し整理し、視点を変え重心を移すということです。今対峙している「思い悩み」の局面を打開していく道筋を示しているのではないでしょうか。
 そのたとえとして、カラスと野原の花を指しています。カラスは、レビ記の規定によれば「けがれた」ものとされ、イエスの時代にもユダヤ人の間では、忌み嫌われる鳥の代表としてカラスが捉えられていたことは理解されます。また、野原の花を「雑草」と読む説があります。「明日は炉に投げ込まれる」つまり、めでたりする商品価値がないと言えるからです。そしてカラスや雑草は主イエスの周りに集まっている下積みを余儀なくされた人々の現実の比喩と読み取れます。あなたたちの今の現実は、カラスのように嫌われ、疎んぜられる存在、雑草のように価値がないものとされ、踏みつけにされ、捨てられているのかもしれない。だから日々の暮らしの慌ただしさに溺れてしまうようにして自分たちを見失ってしまっているのではないですか、と。しかし、考えても見なさい。カラスや雑草が、あるがままに、一切の条件なしに、今いのちを貸し与えられていて輝いている現実、満ち満ちたいのちを。同じようにあなたたちの生命は、すでに祝福されてしまっているのだから、その事実に注目することによって「不要な思い悩み」から自由になりなさいと。あの栄華を極めたソロモンなんぞとは、比べ物にならないほど、あなたたちの生命は尊いのだとして。主イエスの慈しみがここにはあります。この生命への立ち帰りの言葉が、「思い悩むな」ということなのです。
 この「思い悩む」という言葉の意味合いを受けて、わたしたちはもう一度自分たちの負わされている「思い悩み」と対峙することが可能とされるのです。かつての「思い悩み」から今の「思い悩み」に向かって位置をずらし、方向転換することで、見えてくる景色や状況は、すでに変えられているのです。今の課題・現実に対して溺れてしまい、心が悲鳴を上げるような生き方に陥るのか、心の向きを変えて軽やかに生きるのか?主イエスはカラスと雑草を指し示しながら、今を生きる知恵をわたしたちに向かって問いかけているのです。

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