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2018年8月 5日 (日)

ヨハネの手紙一 3章11~18節 「言葉や口先だけではなく」

 ここのところ10年以上にわたって、いわゆるヘイトスピーチ、排外主義的な運動が盛り上がっています。中国大陸や朝鮮半島の国籍の人々に対して日本から出ていけと、暴力的に罵倒し続けています。公に街角で。ヘイトスピーチを行う人々には決定的な欠落があります。<いのち>に対する誠実さや想像力です。それはしかし、わたしたち自身にも問うべき事柄です。
 わたしたちは、人が天地創造物語で神が土くれを人の形にして鼻に息を吹き込んで生きる者とされたという原事実をもう一度捉えかえさなくてはなりません。人間の側には、他の人間に対して、その<いのち>に対しての冒涜、殺意、憎しみの権利は一切ないということです。あらゆる<いのち>は神に与っていることを認めることです。そして、その<いのち>がつながりの中にあることを。
 枠を設定することで日本人とか○○人との違いを必要以上に強調することをやめるべきです。民族とか宗教とか文化が異なっていても、無条件に尊いことを認めていく仕方が求められているのです。どこか人間のいのちに対して優劣をつける、極端に言えば優生思想に親和性のある発想をもって自分が自分を成り立たせるようなものの考え方とか仕組みとかを体に刻み込んでしまっているのではないか、常に点検が必要です。
 イエス・キリストに立ち返ることによって、いのちのつながりというものを回復していく方向性があるに違いないと信じることから始めるのです。相手のことを好きとか嫌いとかをも超えて、その相手に神から与えられている、ないしは神から貸し出されている<いのち>であるとうことをまず知るべきです。具体的に今存在しているその人に対して憎しみを抱かないということです。
 憎しみの言論(ただ単に言葉ということではなくて生き方全体を示します)と決別するには、憎しみという事柄を溶かして解体していくような働きをイエス・キリストの十字架の出来事が示しているところに絶えず立ち返ること。ここにこそ愛という力が既に働いていると信じることができる、ここから始めていこうじゃないかという呼びかけとして今日の聖書を読み取ることができるのではないでしょうか。
 イエス・キリストがこの世を愛してくださる仕方で自らをささげたという事実に絶えず立ち返ることによって、わたしたちが持っている憎しみに囚われてしまう心が溶かされ、解体される道に連なることができるのです。ここに平和を求め実現していく道を歩みがあるのです。

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