エフェソの信徒への手紙 1章3~14節「神の恵み」 山田 康博(大泉教会牧師)
「教会」のことをギリシア語で「エクレシア」と言う。これは「エク」(外へ)、「カレオー」(呼ぶ)という言葉から来ている。つまり「エクレシア」とは「呼び出された」人々によって形成されるコミュニティのことである。今日ここに今いるのは「神によって呼び出された」のだと言える。
詩人・作家の阪田寛夫さんに『バルトと蕎麦の花』というエッセイがある。阪田さんは、仕事をするとき長野県野尻湖畔の山小屋に来ていた。ある夏、思い立って町の教会の日曜礼拝に出席した。あから顔の小柄な牧師のふしぎな訛りのある説教を聞き、なぜかその日一日元気にすごせた。それ以来、時たま炎天下を1時間歩いて説教を聞きに行くようになった。バスに乗っていく方が少し早いが、乗り場まで歩くのに30分はかかる。月に一度、二度が三度とふえ、ここ二年ほどは、夏や秋に山小屋に来ている限り休むことが珍しくなった。東京ではそんなことはしない。
阪田さんの通う「大草原の小さな家」風の教会(信濃村伝道所)の牧師は当時「ユズル牧師」だった。ユズル牧師の両親は利根川べりに住む小作農で、筋金入りの篤農家だった。父は17歳の時から短歌を書き始めて終生精進したという。5人兄弟の次男、ユズル牧師は農作業がだめで学校では図書室で本を読むのが好きだったという。高校の聖書研究会でキリスト教に出会い、教会へ通い始めて、洗礼を受けて、わずか2年で、高校卒業後、農村伝道神学校に進む。
神学校への推薦書を書く牧師がユズルの両親に「牧師にならないかと勧めて、一度で『はい』と言ってくれた」という。イエスが宣教を始めた時、湖で網を打っていた漁師ペテロとその弟には、「我に従え」と声かけられると、直ちに網を捨ててイエスについて行ったことを思い起こす。
祟りだの運勢だのと言い立てることを極度に嫌った父がなぜ賛成したのか?ユズルは他の兄弟とは正反対で、手でやる仕事はまるで駄目。これじゃとても普通の職業はつとまらない。あの子が人ないに食べていくには、本当に、牧師になるほかないと思い直し、許したのではないかという。ユズル牧師は一つだけ父親に似ていた。彼も短歌を終生つくっていた。それまで神に対して「遠く離れていた」(2:13)生活から「呼び出された」のです。福音書を読むと、最初の弟子たち、ペテロたちも、自分たちの暮らしのことしか考えていなかったそれまでの生活から、イエスによって新しい使命へと呼び出されている。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マルコ1:17)。
教会とは、イエスにより、神によって呼び出された人々の共同体(コミュニティー)なのであり、キリストによって解放され、地上を旅する民である。
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