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2018年4月15日 (日)

マルコによる福音書 5章25~34節 「苦しみから解放される」

 12年間出血が止まらないという人ですが、子宮内の出血あるいは生理が止まらないという病気であっただろうと言われています。体力も相当消耗していただろうと思います。しかも、「多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった」(5:26)。病気自体だけではなくて、幾重にも苦しめられていたのです。そして宗教的・社会的な力は穢れの概念によって強化されていたのです。
 レビ記によれば、身体を覆う皮膚は対世界と自分との境目であり、重い皮膚病は、皮膚の状態があいまいになる状態です。皮膚という境界は穢れから保護しているのですが、あいまいになることで穢れが伝染ることになります。血は身体の内側にある時には聖いものであるけれど、流出すると穢れとなるとレビ記は考えています。女性の場合は細かい規定となっています。生理期間を一週間として、もう一週間して次の日に清めの儀式を行うことになっています。その穢れに期間に触れたものも穢れてしまう、とされています。
 自分の身体も相当ボロボロになっていると同時に周りの人たちからすれば穢れ続けていると判断されているわけです。神から呪われ見放されているとするならば、その人はただ単に身体の弱りだけではなくて社会から追い出されてしまうことで、存在しないかの如く扱われるようになる。そんな状態から人目を憚りながら何とか一縷の望みを胸にイエスのところにやってきたのです。そして、やっとの思いで触れることができたのです。そうしたら、治った!これを彼女は体で感じたのでした。
 この時同時にイエスも感じているのです。癒された女の人とイエスの間で心の深いところ、人間と人間の間でのつながりが回復されたことによって病自体の苦しみと社会に中での苦しみにあってもなお、生きていこうとする希望が与えられたのではないでしょうか。暖かい心が流れ込んでくる交流を感じたのでしょう。イエスに向かって癒されたことをありのまま告げることによって、自分のいのちの尊厳が決して傷つけられるはずがないというところにまで導かれたのでしょう。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」この言葉によってこの人は悪しき力から自由になっていくことができたのだということです。このイエスに対する一途な望むあり方を信仰としてイエス自身が喜んでくださったのです。今、生かされていること自体が神からの賜物であることがイエスによって承認されたことを承認することによって、自尊感情を整えることができたという物語なのです。

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