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2017年8月 6日 (日)

エフェソの信徒への手紙 2章14~22節 「隔ての壁を取り壊し」

 エフェソの手紙で問題になっているのは、民族間の問題です。とりわけ、ユダヤ人とユダヤ人以外の異邦人と呼ばれる人たちとの間に平和でない状況があったとされます。そのような不幸な状況に対して、イエス・キリストの出来事によって不幸な民族間の関係はすでに破棄されているのだとして「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」と語りかけるのです。「敵意」という「憎しみ」を乗り越える根拠がイエス・キリストであると主張するのです。これは、いわば教会の内側に向かっての言葉です。しかし、イエス・キリストの事態は教会の外側に向かっても無効になることはありません。イエス・キリストの出来事は、この世に対する働きかけであるからです。イエス・キリストの和解の出来事は決して教会という枠に閉じられることはないのです。
 現代日本においては、外国人排斥運動を担っている団体があり、急成長を遂げています。いわゆる「ネトウヨ」が街に繰り出していく状況は続いています。これは今に始まったことではなく、日本の近代が朝鮮半島などに対して行ってきた差別的なあり方の延長線上にあることは否定できません。 
 「敵意」「憎しみ」を煽ることによって、自らが「日本人」であるというアイデンティティを確立したい人々の偏狭さには驚くばかりですが、彼らがあれほど自信をもって差別的・排外的言動を行うことができるのは、自分たちの運動がより多くの人々によって支持されているという確信があるからなのでしょう。ということは、彼らの言動をわたしたちが支えてしまっている事実がないか検証する必要があるようです。
 今、世界中で難民・移民の受け入れが大きな課題となっています。そして日本社会においても、すでに様々な文化を背景とする人びとが地域に暮らしいています。昨年成立した「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(ヘイトスピーチ解消法)を手がかりとして、地方自治体に対して人種差別撤廃基本条例の制定、多民族・多文化共生のための働きかけが必要です。1980年代の指紋押捺拒否に始まりまった「外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会」(外キ協)の活動も試みの一つです。国籍、民族、宗教、文化、言語など異なる背景をもった人たちが、その違いを認め合うことで一緒に街でいのちが大切であり尊いということが保証される社会、それは「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」(外キ協)のパンフレットの次の言葉が象徴的に表わしています「外国人が暮らしやすい社会は日本人にとっても住みやすい」。多くの難民を拒絶する日本という国、すでに隣人である他民族を冷たくあしらうこの日本という国、ここに暮らす者として、わたしたちは自覚的にならねばなりません。そして、「平和を実現する人」として歩んで行くことへと招かれていることを確認しましょう。

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