ヤコブの手紙 4章13節~5章6節 「この世の富について」
教会にとって、富の問題、お金の問題は、初代から現代にいたるまで様々な場所で様々な仕方で頭を悩ませ続ける、未解決の課題であると言えます。読み解くカギは4章15節の「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」という言葉にあります。「主の御心であれば」とは、「ヤコブの条件」と呼ばれている姿勢を表わしています。ここに立ちながら発想し、行動して証ししていく、ここにこそ教会のあり方があり、ここに向けての歩みへと整えていくようにとの促しがあるはずです。自らの遜りにおいて貧しい者に仕えていく道こそ、それを行いによって示す信仰こそが生きている者だとヤコブの手紙は主張しているのです。ヤコブの手紙の見ている諸教会は富や、富の側に立つ人々の言葉によって混乱しています。それに対して「上からの知恵」によって解決の道を探ろうとしてもがいていることが読み取れます。ヤコブの手紙は教会の中での富の問題を指摘しながらも、教会を超えて、その当時の社会のあり方を踏まえての富全般の問題性を見ています。教会が社会の富について、その不正について語り行動することは信仰的な行いなのだと考えているからです。
現代日本はどうなのでしょうか。富む者がさらに富を蓄積し、貧しい者がより貶めらていく仕組みは古代のギリシャ・ローマ世界とそれほど大きく隔たっているのでしょうか。この富を巡る不正の問題をヤコブの手紙は、教会の行いとの関連で信仰的な事柄だと考えています。この意味で、今日の聖書を読むことは、この世の富を巡る諸問題が教会の信仰告白の事態でもあることを思い起こさせようとしているのではないでしょうか。富を富んでいる者のところに蓄積させ、さらなる資本の投入により、より弱い国々の資源を収奪搾取していく方向性に歯止めをかけ、水平社会、より弱い人々へと富を還元していく方向性を模索していく時が告げられているのかもしれません。
日本国憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」。この規定は富を蓄積する勢力によって骨抜きにされています。富が貧しい者の生活権を脅かし、年齢を問わず貧困が国を覆っているのです。これだけ、この国に富が蓄積されていても水平社会とは、ほど遠いのです。
これらの大きな課題は未解決のままで、わたしたちの前に大きく立ちはだかっています。しかし、希望はあるのだという励ましをもヤコブの手紙は語ろうとしているのです。お互いの知恵を絞っていく中で、迷っていても主の備えられた道に辿り着くことができるのだという信仰の歩みにつながることを願い、ご一緒に祈りましょう。誰もが今生きていることを喜んで暮らせる社会を来たらせようとした主イエス・キリストの思いを受け継いで歩んでいけたらと願っています。
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