ヤコブの手紙 2章1~13節 「恵みを分かち合う道」
富んでいる者が優遇され、貧しい者がないがしろにされる現実が教会において明確に起こっているとヤコブは指摘します(2:2-4>)。金持ちには立派は席を用意し、貧しい者には「そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」という態度に、こちら側とあちら側として教会の中に壁を築き上げる差別思想が明確に表わされています。
教会の中で富んでいる者と貧しい者との間に壁を築き上げることで教会の教えが著しく破壊されているというのです。そこでヤコブの手紙は皮肉を込めながら神の教えとして律法論を展開することで「憐み」によって関係を整えていく提案をしています(2:7-13)。教会が人間の集まりである以上この世の価値観から完全に自由でない。この自覚のないところでは世俗の価値観に飲み込まれてしまうのです。この人間関係の中に富をめぐって壁が築かれてしまうことによって、あるべき人間関係の豊かさを疎外する現実は古代から現代において途絶えては来ませんでしたし、この意味で古代の問題は現代の問題でもあるのです。
ヤコブの手紙を読んでいくと、富んでいく側を糾弾し、その責任を追及しています。ヤコブの富んでいるものに対する教会批判は5章で展開されています。さらには4:13から読むならば、彼らが富んでいるのは商売によるものです。ヤコブの手紙の判断では、富んでいる者が富んでいるのは不正によるものであり、富自体を罪だと考えています。したがって、富によって壁が築かれているのであれば、壁を破壊する責任は富む側にあるということです。「富は壁を破壊するために用いられるなら正当な使い方である」という道しか残されないと理解することになります。お金がかかることですから壁は貧しい者の側から築き上げることができないのです。ですから、壁を破壊する費用は富む側が負担すべきなのです。このあり方を「憐み」の具体的行動と呼んでいいのかもしれません。
分け隔ての壁を破壊していくことによって教会を整え、社会を水平社会へと変えていく道は、ヤコブの手紙の主張する律法を守る道にあると言えます。そしてこの内容は福音としての主イエス・キリストの振る舞いから照らされることによってのみ可能性が開けてくるのです。
分け隔てを破壊しながら人とのつながりを回復していくのは、分かち合いの道であろうと思われます。恵みを分かち合う道です。それには、富んでいる者が謙虚さを取り戻していく関係性を整えていくほかないのでしょう。富んでいる側からの「憐み」の回復が解決の初めの一歩になるはずです。ここにおいて教会が「恵みを分かち合う道」が備えられているのです。ここを確認しながら、わたしたちの教会の富についての考えが整えられることと同時に世界のあり方についての考える方向を整えつつ、祈りましょう。
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