ルカによる福音書 2章8~20節 「恐れるな」
わたしたちは、生きていくための場所が必要です。今、自分がここにいるのだという実感がなければなりません。それは、他者との関係の中で感じられるものです。一人で存在するのではなく、誰かと一緒でなければ、生きていくことはできません。けれども時々、みんなから見捨てられ、ひとりぼっちになってしまったように感じて、悲しくなることがあります。真っ暗闇に一人でいるような寂しさ。そういう暗闇の底にまで主イエスは、わたしたちを探しに来てくださるのです。寂しい思いや悲しい思いをしている人の友だちとなり、仲間となるために、それを証明するために、主イエスは、人間の赤ちゃんが生まれるような場所ではない馬や牛などの家畜の餌箱に生まれたのです。だからこそ、救い主なのだと聖書は教えてくれているのです。
主イエスは、わたしたちが決してひとりぼっちにならないように、大丈夫だよ、友だちだよ、とそばに来てくださるということ。これがクリスマスの意味です。
主イエスは、わたしたちの友だちとなるためにこそ、来てくださいました。「友だちになるために」という歌があります(新沢としひこ作詞・中川ひろたか作曲)。
友だちに なるために 人は 出会うんだよ
どこの どんな人とも きっと わかりあえるさ
友だちに なるために 人は 出会うんだよ
同じような やさしさ 求めあって いるのさ
*今まで出会った たくさんの君と 君と 君と 君と 君と 君と 君と
これから出会う たくさんの君と 君と 君と 君と
ともだち友だちに なるために 人は 出会うんだよ
ひとり さみしいことが だれにでもあるから
友だちに なるために 人は 出会うんだよだれかを きずつけても 幸せには ならない
*くりかえし
誰一人ひとりぼっちであってはならないのです。クリスマスを祝うことは、主イエスが、わたしたちの友だちになってくださった証拠なのです。ですから、その主イエスの誕生を祝うわたしたちは、今度は他の人たちに向かって友だちになっていく道が用意されているのです。
最初のクリスマスが知らされた羊飼いたちへのお告げは「恐れるな」でした。差別と抑圧のただなかに与えられるクリスマスのメッセージとは友達となっていくための促しとしての「恐れるな」です。「どんなに苦しいときにも、神が共にいて下さる」(インマヌエル)ということです。どんな時にも共にいてくださる救い主が、あなたのために生まれた。だから、「恐れるな!」という言葉を聞くことが赦されるのです。誰一人として余計者にされてはない。一人ひとりの丸ごとの命は尊く、交換不可能である。このような自尊感情の復権の宣言を喜び祝うことが、わたしたちのクリスマスなのです。
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