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2016年8月14日 (日)

マルコによる福音書 14:章3~9節 「こころが共鳴する時」

 1~2節ではイエス殺害の計画が具体化しつつあり、10節からはユダの裏切りの記事があり、これらに挟まれた、不穏な空気に満ちている場面です。イエスがいつ捕えられてもおかしくない状態です。そのような中、現代の感覚からすれば300万円相当の高価な香油を食事の席でイエスの頭に注いだ女性の話です。無駄遣いという批判と同時に、そもそもおそろしく不快な状況だったでしょう。しかし、この女性は、あるいはこの女性のみがイエスの十字架への道行きに対して、しっかりと目を留め、イエスの苦しみの道に共鳴する心に引き出された行為だったのでしょう。平和の王としての即位と埋葬の出来事の象徴を「あなたはこのような方なのだ」との信仰告白です。イエスとの苦しみにおける共鳴を感じた人は、他の人に理解できなくとも、相応しい振る舞いで応答することがあるのです。蓋を外すのももどかしかったのか感情が高ぶっていたのか、丁寧に蓋を外してという動作なしに、いきなり、叩き壊してしまうのです。彼女の一切を、その人生さえもぶちまけずにはおられなかったのでしょうか。
 香油を注いだ女性には、聖書の中の文章には描かれていない苦しみ、悲しみ、孤独、痛み、つまり、言い様のないそれまで辿って来た人生があったのでしょう。香油は彼女の人生の中で唯一慰めとなる象徴でもあり具体でもあるモノだったのでしょう。
 主イエスの活動は人間の尊厳そのものの回復、復権を闘い取るものでした。それゆえ、活動の初期段階から既に周りでは殺意が蠢いていた。主イエスにまとわりつく死の臭い、十字架の血の臭い、腐りゆく肉の臭い、それをこの女性は感じていたのでしょうか。主イエスの来るべき孤独な十字架上の死への共鳴が、彼女のこころに起こっていたのでしょう。それらの臭いを香油の臭いで、イエスの死の予感の臭いがたとえ打ち消すことのできないものであったとしても、そうせずにはおられなかったのです。
 「イエスは言われた。『するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。』」(14:6-8)この言葉は、彼女を受け入れ、理解されたことへの感謝があります。また、「するままにさせておきなさい」という言葉の感覚には、「解放せよ」という意味合いがあります。彼女が、生き直すことへの促しがここにはあるのです。

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