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2016年8月 7日 (日)

マルコによる福音書 14章1~2節 「それでも前進するイエス」

 イエスに対する敵意は既に3章6節に「ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。」とあります。イエスが活動を始めてすぐの段階です。それでも、主イエスは、殺意の中を十字架へと向かって、前進することをやめることはないのです。その主の歩みとは、平和を実現していくことによって、「その人自身が生かされてあることを有難いこと、喜ばしいことだと受け止めることのできる世界」を実現するための歩みでした。
 エフェソの信徒への手紙では次のように語られています。【実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。】 
 また、イマヌエル・カントの『永遠平和のために』には次のような言葉があります。【平和というのは、すべての敵意が終わった状態をさしている。】【戦争状態とは、武力によって正義を主張するという悲しむべき非常手段にすぎない。】【常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべきである。】【殺したり、殺されたりするための用に人を当てるのは、人間を単なる機械あるいは道具として他人(国家)の手にゆだねることであって、人格にもとづく人間性の権利と一致しない。】
 殺害に至る敵意の中でも前進し続ける主イエスの姿は、人の命が本当に尊いものであるならば、それを相応しく尊いものとして取り戻すところから始めようじゃないか、ということではないでしょうか。この意思を十字架の出来事によってなされた和解の業として、教会は受け止め直すのです。そのような意味において平和ということを考えるときには、今一度エフェソの信徒への手紙の示すところの「十字架によって敵意を滅ぼされました」という平和の主であるイエス・キリストへの信頼によって、この社会に、そしてわたしたちの遣わされる現場において証ししていく務めが与えられていることを確認しながら、祈りましょう。

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